「きものがたり・其の一」心と表現<第31回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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私の着物愛用歴は長い。
幼い頃から憧れていた着物での生活を実践に移すことが出来るようになったのは、結婚が契機だったと思う。以来60年近い人生を、私は着物と共に歩んできた。
箪笥にぎっしりと着物を詰め込んで嫁いだ訳でもなく、それどころか、ほとんど着の身着のままで嫁入ったと言った方が、正確な表現になる位、僅かな荷物しか無かった花嫁だった。

ある日、鏡に写った自分の姿を見て、着物の方が数段綺麗に見えた。
〝どうせ同じ一生送るなら、綺麗な方の道を選ぼう〟
以来、頑に貫いたこの信念だけは、1ミリも揺らぐ事は無かったのである。
動きにくい、苦しい、手入れが大変、半襟の付け替えが面倒、探せばマイナスの要素はいくつでも出て来る。それを百も承知の上で、生活の中に取り入れて来たのである。年子に近い娘達の子育て中も、ウールの着物に割烹着を付けて家事をこなしていた。
「何んなの?あそこの奥さん、小さい子が何人も居るのに、チャラチャラして…。」
世間の人が私に向ける目は冷たかった。それでも聞えぬ風を装ってやり過ごした。
〝私が着物で過ごす事で、貴女にどんな迷惑が掛かっていますか?〟心の中でそう呟きながら…。
着物で通す私へのバッシングは、長いこと続いた。娘たちが小学校へ入り、PTAの役員を引き受けざるを得なくなって、そんな折も折、テーブルや椅子を出す作業の時など、
「あ!お着物汚れるといけないから、貴女はいいわよ。」
親切を掛けて下さった言葉かもしれないが、私の心には強く響いた。
着物を着ているからと言って、動作が鈍くなったり、粗相をしたりなどほとんど無い私は、洋服の方と変わりない位、テキパキと動ける自信はあったのだ。

それや、これや、いろいろあった着物での生活だったが、振り返ってみてその効能の素晴らしさに、あらためて気づかされている。帯を締めることで、胸から腰のあたりまでを、常にまっすぐに保つ姿勢を要求される。これが健康は元より、見た目の美しさにも繋がっていて、姿勢の良さはよく褒められる。保温と云う点でも、洋服に比べて遥かに高く、女性の大敵冷えからも多いに身体を守ってくれる。草履、下駄などの履物にも大きな効果があって、鼻緒を掴む親指と人差し指の間は、経絡で云う大切な壺にあたり、知らぬ間にこれも又、健康保持に繋がっていたらしい。

着物生活が全てとは言わないが、お陰で目下すこぶる健康である。健康診断の結果も、米印が全て真ん中を示しており、異状は見当たらない。同年代のほとんどの方が膝や腰が悪く、正座は全く無理との声も聞くが、それも問題は無い。健康は、何ものにも優る宝である。

頑に着物生活に拘って来た、その答えに気付いたのは、語りを始めた40代の頃だった。
演目の大半が、江戸から明治を背景とした作品が多く、衣装は当然和服になる。長い着物生活のお陰で、俗に云う着こなしと云う点では何ら問題も無く、短い時間でさっと着替えも出来る為、人件費の節約にもなる。すっかり洋服の生活に馴れて、箪笥の中で眠っている着物に、袖を通すことを忘れている女性達、それでも着物への憧れと羨望の気持を失った訳ではない。
「今度は、どんなお着物をお召しになるのかしら?」
作品毎に衣装替えをする私に、期待する声が届く。その期待を裏切らないように、こちらも又、努力するのである。

長い間には、着物に纏わる不思議な話もいくつかある。平成14年、秋の三越劇場では山本周五郎の「二粒の飴」を予定し稽古を重ねていた。
明日嫁ぐ娘に、母は娘を側に呼び寄せ、自分たちの母がどの様な子育てをして来たか、を静かに語って聞かせ、そして最後に、
〝あなたが、あなたのお子に、これを伝えられる母になるよう、祈っています〟、で終わる。子育ての極意とも言える、含蓄のあることばで紡がれている「二粒の飴」。
祝言を目前にした部屋で、火鉢に手をかざしながら語る母娘、傍らには花嫁衣装が飾られている筈、ならば何んとしても舞台に打掛けを、それも、江戸と云う時代を写したしっとりとした品を…と、思いは膨らむばかり。京都の時代衣装屋に行けば手に入るのは解っていたが、何分にも百万円以上はする。だからと云って今風の金ピカの物で妥協するのは、どうしても気持ちが許さない。悪戯に時間だけが過ぎていき、季節はいつしか夏から秋へと移っている。上演日まであと1ヵ月弱、お目当ての一品はまだ見つからない。

そんなある日、友人から1本の電話が入った。
「南水さん、古い打掛けが手に入ったんだけど、必要なーい?」
耳を疑った。信じられなかった。毎日その事ばかりを考えて過ごしていたので、いよいよ幻覚症状が現れたか。しかし、そうではなかった。話はこうである。
友人が自転車である大きな家の前を通りかかった時、門の外に段ボールがいくつか積み上げており、そのひとつから着物の袖が覗いている。一旦は通り過ぎたのだが、気になって引き返し、主に訳を尋ねるともう必要ないから捨てるのだと云う。その友人は古い着物を使って、小物を作ることを趣味にしており、渡りに舟と有難く頂戴して自宅に戻ったのだが…改めて段ボールの蓋を開けて見て2度びっくり、江戸時代かと思われる見事な打掛けが、3枚も入っていたのである。あまりの美しさに鋏を入れる事にも躊躇され、しばし見入ってしまったと云う。
そこに、フッと私の顔が浮かんだのだとか、斯くして、先の電話になったのである。
「えぇーっ!私、それを探していたのよ」
私の強い想いが神様に通じて、引き寄せた江戸時代の打掛け。吉祥文様を見事な日本刺繍で施された一品は、三越劇場を皮切りに、その後全国各地へと、旅を重ねていったのである。そして、その度にこのエピソードを話し、打掛けの側へ近寄って、〝素敵ねぇ〟を連発してくれる声を、誇らし気に聞いている事だろう。

(令和4年4月号掲載)

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