会津平野は、正に黄金の波が押し寄せているようだった。幾度となく訪れている、福島県喜多方市だったが、考えてみれば収穫期の繁忙に当る、この時期だけはこれまで記憶が無い。従ってこの風景は目にしていなかったのだが、目を瞠る程美しい。
〽会津磐梯山は、宝の山よ~~ 〽
民謡にも唄われ、標高一八一九メートルの活火山で、明治21年の大爆発で麓の村を飲み込み、会津富士の別名を持つ磐梯山は、この爆発で桧原三湖と五色沼、その他大小百余の池や沼を作ったことで知られている。
高村光太郎の詩集⽝智恵子抄⽞の中の一編に、「山麓の二人」と云う私の大好きな詩がある。
二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒ぼうぼうと人を埋める…………… (後略)
狂った妻の傍らに座して、磐梯山を眺める光太郎の心情が、痛い程伝わる一編である。
「瓜生岩子・没後120年」を記念して開かれた、シンポジウムに参加する為、4月に訪れた時には、まだ田植前の水が張られただけの田んぼだったのが、僅か半年で重そうに頭を垂れる稲穂に成長しているのである。農耕民族日本人の、原風景がここには間違いなく顕在している。誇るべきことだと改めて思った。
7月の中頃だったと記憶しているが、いつも大きな力を貸して下さる、喜多方のS氏から連絡が入り、秋に地元の文化施設⽥喜多方プラザ⽦で公演して欲しい由、内容は是非「お吟さま」を……との事、二つ返事でお受けし、すぐ準備に入ったのである。
主催は、東北労働金庫喜多方支店、「ろうきん友の会」で、発足30周年の記念行事の一環として企画するとの事、S氏はその友の会の会長を務めている。昨年の10月、東京のカメリアホールで産声をあげたばかりの、今東光作「お吟さま」。高齢出産の為これまで体験した事の無い難産だったが、苦しみ抜いた分、天からのご褒美があり、年末に嬉しい受賞の知らせが飛び込んで来たのである。
産み落した吾が子を、育てるのは親の務め、出来るだけ機会を作って沢山の方々に聞いて頂き、成長させなければならない。その意味でも喜多方公演は有難い話だった。東京公演の折のチラシやプログラムを参考に、現地での準備が進められ、小道具類なども全て調達可能と云う事で、多いに助かったのである。
当日は、スタッフが仕込みに入るのと同時に私も立ち合い、山台の大きさ、小道具の並べ方、立ち位置など細かく指示をし、それに合わせて照明が作られていく。昼食後、通しのリハーサル終了後も、照明スタッフの手直しが続き、あっと云う間に開場時間を迎える。いつも感じる事なのだが、本番当日の時間の早いこと、あれよあれよと云う間に、飛ぶように時間が過ぎるのである。
だが……この時間が途轍もなく楽しい。
何も無かった舞台の上に、次第に「お吟さま」の世界が出来上がっていく。そして、そこに色が射し、音が加わる。
場内は満席である。マックス300のキャパに、予約なしの観客も入って結局320名がご来場とか。関係者は汗だくでパイプ椅子を運んでいるそうで、出番待ちの楽屋へ逐一連絡が入る。
幕が上がると、場内は水を打ったように静まり、前編50分の長丁場を息を止めたかのように、全身を耳にして聞いて下さる。休憩のアナウンスが入ると、現実に戻ってザワザワする様子が、楽屋のモニターにも写し出され、私は後編の衣裳に着替え始める。
毎回の事ながら、夢の時間は瞬く間に過ぎていく。映像の世界と違って、撮り直しも再生も効かない一発勝負である。そこが、又、醍醐味でもあるのだが……。
終演後、興奮しているお客様を見送りながら、至福の時間ときを密かに味わう。
そして、月が変わり10月16、17の両日、いよいよカメリアホールでの幕が開く。
その前日15日が、私の76歳の誕生日である。既に小道具類の搬入を終え、衣裳と身の廻りの物を車に積み、主人と2人だけでステーキハウスへ。形だけの祝杯をあげて私はそのまゝ劇場近くのホテルへ2泊3日の別居生活をさせて貰う為に移動、ここでスイッチが切り替わる。
4、5日前から冷たい雨が降り続き、秋雨前線が停滞している。幸せなことに、これまで何十回となく重ねている東京公演は、只の一度も雨にたたられた経験は無く、〈晴れ女〉の異名さえ頂いていたのだが、残念ながら今回それを返上する事と相成ってしまった。
17日のチケットは早々に満席になっていたのだが、16日は夜公演の為、残念ながら満席に出来なかったのが悔やまれる。3・11以降、夜の外出を控える人が増え、高齢化の波がそれに拍車をかけているのが現状で、私の場合も例外ではなかった。
ロビーに賞状とトロフィーが数々の花に囲まれて飾られ、いつもとは違う雰囲気が漂っている。20年の歳月と、7回もの挑戦の果てにやっと手にした、これまでで最高の賞である。
16日には5人の娘たちも勢ぞろいして受付を手伝ってくれ、又、12人の孫の内4人までが学校帰りに直行して、祖母の舞台に聞き入ったのである。考えて見れば、夫はもちろん、娘、孫達に囲まれ、好きな世界で思う存分活動出来る、今の私は何んて幸せなのだろうか。
〝念ずれば花ひらく〟
諦めずに、地道な努力を重ねて、一筋のわが道を行く。座右の銘が脳裏を横切る。
今後の目標は、この「お吟さま」を全国展開して行ければと、細胞が騒ぎ始めているのを感じる。
昨年の初演以来、既に群馬、長野、岐阜、福島と上演を重ねており、来年は沖縄、青森、京都が決まっている。72都道府県も夢ではないかも知れない。
「百寺語り巡礼」の旅も11月に予定されている郡山の「徳成寺」さんで71ヶ寺目を務め終える訳で、平行しながら実現出来たら……と果てしない夢はつづく。
「お吟さま・三味」心と表現<第23回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
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