「美濃国にて」心と表現<第18回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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「美濃国」は明治時代に北の飛騨国と合併して現在の岐阜県となったのだが、もともとは三野〈みの〉と云い、三っつの野が語源になっている。つまり大垣西部の青〈野〉、揖斐を中心とした大〈野〉、各務原の各務〈野〉に由来するのだとか。
戦国武将・斎藤道三と織田信長との関わり、そして関ヶ原の合戦等、常に歴史の中心となっていたが、かつて日本の地方行政区分だった東山道(現・中山道)に属するのが「美濃国」である。
ホテルのすぐ横を通るローカル線、養老鉄道で1日から6日まで通勤することになっている。大垣から終点の揖斐まで約30分、前後左右にかなり揺れる電車と窓外の景色を楽しみながら…。
先ず4日に予定されているホール公演の為の、打合わせを兼ねて揖斐川町地域交流センターへ。主催者「きららの会」の有志の方々も集っていて下さり、それぞれ持ち場を決め、当日の成功を祈って解散。15年程前初めて足を運んだのがこの「きららの会」だったご縁で、今回大きな力を貸して下さっている。そして昨年6ヵ寺を廻る切っ掛けを作って下さったのも、メンバー各位のお力で、これが太い絆となった。「百寺語り巡礼」の50ヵ寺目を、昨年池田町の「方行事」さんで務め、地元紙に大きく報道されたのが功を奏して、残りの5ヵ寺への観客が増えたのである。延べ500~600人の方々に「南水ひとり語り」の世界をお届けできたお陰で、今回のホール公演「お吟さま」のチケット800枚は既に完売となっている。街のあちらこちらに「お吟さま」のポスターが貼られ、一寸したスター気分ではあるが、皆様の期待を裏切らないよう務めるのが私の役目、改めて気が引き締まる思いがする。

2日目は午後から65カ寺目となる 揖斐川町春日六合の「静寂寺」さんへと車を走らせる。今回も全行程足となって下さるのが、着物コレクターとしてギネスに登録されている樋口冨喜子さん、穏やかな物腰の小柄な女性なのだが、秘めたバイタリティーは計り知れない。
車で山道をかなり登ると、目の前に茶畑が点在しているのが見える。この土地は現在(いま)突如報道された映像と写真で、空前のブームになっているという。伊吹山の麓で昔から薬草を育てていた上ヵ流(かみがれ)集落は、同時に薬効のあるお茶も栽培しており、春日の茶畑の歴史は700年以上にさかのぼるとか。急な斜面を利用しての栽培は困難を要し、手入れにも大変な苦労を必要とするのだが、守り続けてきた人達が居ればこそ現在が有るのである。江戸時代から伝わる在来種も多くあり、私たちが通常目にする丸く刈り取られた茶畑とは一風違う、まだら模様の茶畑が点在する光景が、日本のマチュピチュと表現され、「天空の茶畑」として脚光を浴びたのである。集落の人達にとっては毎年目にしていた光景なのだが、違う視点で捉えられると、全く別のものとなり静かな集落には、連日観光バスやタクシーが出入りし、住人は困惑の色を隠せない。お土産に頂いた春日の新茶は、やはり一味違う気がした。

3日は午前中が安八郡神戸(あんぱちぐんごうど)の念教寺さん、午後には 揖斐川町谷汲の善立寺さん2ヵ寺で公演、どちらも大勢の方が「高瀬舟」「大つごもり」に耳を傾けて下さり、これで67ヵ寺の巡礼を無事務めることが出来たのである。有難いことに岐阜に入ってから連日の快晴、4日も風が肌に心地よく青空が広がっている。揖斐川町地域交流センター「はなもも」ホールの緞帳は、京都龍村製の立派なもので、昨年訪れた時私はそのお披露目に偶然立合っている。まさか1年後、そのホールの舞台に立てるなど、夢にも思わず眺めた緞帳が、今日は私の為に開く。感慨一入である。

開場1時間前から行列が出来始め、自由席と云うことも考慮して、20分程前倒しで入場が始まると、スタッフも含め緊張が走る。
「お吟さま」のセットに必要な茶道具一式も、樋口コレクションからお借りし万全である。
そして、開園のベルが鳴り響いた。
私の中に、一抹の不安はあった。果して満員のお客様最後まで席を立たずに聞いて下さるだろうか。まして、初めて耳にする人も大勢いる筈。だがその心配は全く無用だった。キーンと張り詰めた糸は、最後まで揺らぐことはなく、約2時間に及ぶ長丁場を共有して下さったのである。

終演後、見送りに立った私は、町民の握手攻めに合い、幸せを胸いっぱいに受け止めていた。大任を果して肩の荷を降ろし、その夜はぐっすりと眠った。
翌日は、東京からの追っかけ組3人とご一緒に、樋口コレクション拝見と決め樋口邸へ。ギネス登録当初は3000点だったコレクションは、今や倍以上に膨れあがり、一級品が続々と彼女の手元に集っている。物が人を慕ってくるのだろうか。役目を担う彼女の覚悟を垣間見た気がした。
歩く道はそれぞれ違っても、女2人、これからも強かに、艶やかに、たおやかに。

熊澤南水 プロフィール
朗読家。
1941年東京生まれ。小学6年生のとき青森県西津軽から東京に移り、そこで津軽なまりを笑われたのが言葉へのこだわりの第一歩だった。
40歳のころ、偶然手にした一本のテープ、朗読家 幸田弘子さんが語る樋口一葉の十三夜が心に新たな、風を吹き込み、言葉への想いをつのらせた。以来、俳優 三上左京氏指導のもと、“南水ひとり語り”を全国各地で繰り広げている。
浅草の洋食ヨシカミの元女将が語りの世界で彩る。
◉女優 吉永小百合さんとともに下町人間庶民文化賞を受賞
◉文化庁芸術祭大衆芸術部門優秀賞を受賞

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