「聖天さま」心と表現<第1回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草

半ば目を閉じながら、そう伝えて下さる先生のお言葉に、私は大きな力を頂いた気がして、この夜は他に何も伺わず、お礼を述べて自室に戻ったのである。
それから数ヶ月後、お礼と公演成功のご報告を兼ねて、初めて先生のお宅に伺った時の事である。お茶を飲みながら、何気ない会話を交わしている最中に、
〝待乳山聖天じゃ!〞
突然先生の声が、野太い男の声になり呪文を唱えはじめたのである。時間にして多分1、2分位であっただろう。「あゝ……びっくりしたわ。聖天様が私の中に降りていらしたのね、長い間こんな事しているけれど、初めての体験だったわ」
我に返った先生も、驚きの色を隠し切れないご様子、ましてや側に居た私には、何が何やら全く解らず、や っとご自分を取り戻した先生に伺うと、
「貴女はこれから聖天様をお頼りになられたらいいようですよ。一身にお信じになれば、必ずお力になって下さいますから」それから数日して、私は初めて浅草聖天町の「待乳山聖天・本龍院」を訪ねたのである。飛鳥時代、地中から忽然と隆起した山を、金龍が天から舞い降りてこれを守護し、それから6年後の飢餓の際、救済の為に現れた大聖歓喜天(聖天さま)が、この霊山に鎮座されたと云うのが起源との事、以来1400年もの間、その信仰は脈々と受け継がれて、今日に至っていると云う。
境内のあちこちに、大根と巾着の刻印が見られ、不思議に思って尋ねると、大根は体内の毒素を中和して
化を助ける働きがあり、清浄な心と身体を保つ為の大切な食品である事、そして巾着は、人間誰しも持つ金銭への欲望、貧りを戒める為の象徴として有るのだと云う事が理解出来た。つまり聖天様は分りやすく云えば、健康とお金の神様と云う事にならないだろうか。聖天様独自の浴油祈祷も私を納得させた。私達が聖天様に様々なお願いをする。それは垢のように積って聖天様のお身体を覆う。この汚れは水でもお湯でも落ちない。落せるのは油なのだと云う。家内安全、商売繁盛、交通安全、年頭に様々なお願い事をその身に受けた聖天様は、今日も油でその身を拭いながら、庶民の声に耳を傾けて下さるのである。
毎年恒例となっている一月七日の大根まつり、お供物として捧げられた大根を、ふろふきにして参拝者にふるまう、と云うものなのだが、年々噂が広がり長蛇の列が出来るようになったのは嬉しい事である。
京の師走の風物詩に千本釈迦堂、大報恩寺の大根炊きがある。
西と東、場所は違っても根底に流れる思いは、無病息災、平穏な世の中を祈る心に変わりは無い。

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