○山本周五郎の世界
千葉県在住の詩人・金子千秋氏が時々電話で私を励ましてくれる。山本周五郎氏の長編小説「虚空遍歴」(侍を棄て、芸道との孤独な闘いに人生を賭けて悔いることのなかった男)の主人公は「文弥さんをモデルにしたと思っていた」という。その小説、数年前読んだことがある。でも、この主人公は芸道精進、成功の寸前いつも酒で失敗してしまう。小説としては面白いけれど実際問題としては不甲斐ない。芸人の私は私の身の上として考えるからこの小説は好きになれず、そのほかの小説も何一つ読んでいない。然し金子さんは周五郎さんと会っているし、氏が全ての賞を断り続けて来たことなどから大へん尊敬しているのです。そんなこと聞くと感動して、「周五郎作品、読んで文庫本、それも長編はダメ、短編集を買って貰う」。三冊買ってきてくれました。
稽古の合い間に「つゆのひぬま」というのを見る。新内の語り物「朝顔日記」の中にもあって、なじみの深い文句です。何気なく聞いた所が妹の縁談でそれがナント、おしずという長唄師匠の話、芸道ものではないけれど筋のあちこちに「芸」があり、「三味線」があり、とりわけおしずの長唄はうまい方ではない。勘志津という名を貰ってはいるけれど弟子にしてくれと言ってくる者があると含羞(はに)かんだように笑いながら「ほんとに覚えたいのならよそのお師匠さんのところへいらっしゃい、あたしはほんのまにあわせなんですから」というそのおしずの気性に心を惹かれました。この頃は邦楽も理論と抱き合わせで<遊芸>とは無縁になりつつあるし名誉欲や野心一ぱいで背伸びしてエラく見せたい芸術家の反乱、こんな世の中でおしずのような芸人の存在は一服の清涼剤、周五郎の世界は嬉しいものでした。これからも読める時に読み続けることにしよう。
芝清之さんの月刊「浪曲」3号に明治42年7月1日正午から神田市場亭で春日亭清吉と京山恭為二人会、それぞれ2時間の長講とあり大好きなご両人の、世にも珍しい組合わせですぐにも飛んで行きたいが七十余年昔のことだから「夢だ々々」と嘆くほかない。今の私にはゆっくり浪曲を楽しむ時間がなく思い出の中の浪花節をなつかしむだけですが、『佐倉義民伝』の清吉は田原町に住み、私は一度だけ訪ねたことがありその後どこかの楽屋で「ミシンふむように三味線弾けないものでしょうかねぇ」と合三味線に不自由していたこの立派な実力者が冗談交じりに訴えました。
探偵もので客を呼んだ恭為は本所北双葉町の路地の奥に住み二重廻しを着て弟子を連れて出かける姿を同じ町内に住む私は子供心にあこがれたものです。ああ世は夢かまぼろしかーの演歌が縁日で唄われた時代のことです。