岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第6回>|月刊浅草ウェブ

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○故郷浅草

大阪での私の演奏会に、いつも聴きに来て下さる婦人の故郷が浅草ということで先日「浅草」誌を進呈したところ、たいへん喜んで下さって「浅草という字を見ただけで心がわくわくいたします。三社さまの氏子であった者にとって一生浅草は忘れがたい土地なのでございます。広告にあります大阪屋、天ぷらの三定、江戸っ子、スキ焼きの今半、寿し清、釜めし春、アンミツの梅園、舟和のいもようかんやあん玉等々よく通いました。でも、ひょうたん池のなくなった六区なんて考えたくもないくらい悲しい思いでございます。子供の頃父から、ひょうたん池にはくじらのような大きな主の魚が池の底に住んでいて六区を守ってくれるのだと聞かされて、童話の世界にひたっておりましたのに、埋立の時どうであったろうかなと思いを馳せております。」とのこと。私も、ひょうたん池を前にしたキネマクラブに「護る影」という連続の外国映画が上映され内藤紫蓮の説明の魅力もあって毎週通ったことを忘れません。今でも立ち並ぶ映画館の色美しいネオンサインが目に浮かぶのです。その目をそらすと12階ーですか。すべて夢。

【12階なくなりし空渡る雁】ぶんや

>次ページ「○長唄稽古、○山谷掘、○高橋邦太郎賞」

○長唄稽古

その「渡る影」にヘンな思い出が1つからむ。先輩の新内語りが娘とふたり暮らし、路地の石畳の両側の平屋建ての長屋です。その1軒々々に小さな庭があるという時代、先輩は弾き語りで流しに出る、娘は子供相手の長唄師匠、私も気安く稽古に通った。「老松」だったか「松のみどり」だったか、今は跡形もなく思い出せない。その親子を誘っていつも「護る影」を見に行ったのは、その面白さを吹聴したい気もあったし、も1つ、出来れば長唄師匠とふたりだけで見たい気もあったでしょう。でも万事淡い縁で、いつか先輩も死んでしまったし、忘れた時分に彼女から思いがけない小説原稿が届いて見てくれという。これも読んだか読まず仕舞であったか記憶がない。何年か過ぎて彼女が気が違ったという噂。そして更に、どこからともない風のたよりたあそこは父子相姦であったと伝えて来た。あの頃の人々、みんな死に絶えたことでしょう、何もかも虹の如くに消えてなくなる。

○山谷掘

これも戴きものの趣味の切手、新しいのに2枚続きの「待乳山の雪見」があって、なんとも美しく懐古の思いに暫し現世を忘れる。東京の、稽古所は今戸にあって〽月のふぜいの待乳山や〽栖橋から小舟でいそがせる山谷堀や、聖天さま、九郎助稲荷、無論吉原ゆかりのいろいろが近いのだけれど世の中すっかり変わってそれらのふぜいは心の中に生かすほかはない。山谷堀も河口に近い一部を残して埋め立てられ細く長い小公園に変身した。でもこれは管理が行き届いて春ともなれば見る限りの桜ふぶき、木蓮も咲き雪栖も咲き結構人の目を楽しませてくれる。滅びるものは滅びるのがいいという1つの見本、滅びるものは美しきかなの1つの例。町名を片っ端から改悪している、あれは大愚挙の見本です。

○高橋邦太郎賞

新聞で高橋邦太郎賞というのがあることを知って、それがフランス文学に関係あるらしいので、そんなら私の友人の、上野動物園裏門前の旧清水町の住人、万巻の蔵書家である高橋邦太郎さんかナと思う。宣伝誌「上野」に連続執筆している小島政二郎氏は京華中学の私の先輩、私が5年生の時新入学の邦太郎さんも近頃同誌に執筆していたので京華ぞろいだナと思っていた。然し何々賞とあるのは総て故人の功績につながるものでしょう。そんなら邦さんは死んだのか。そんなことはあるまい、そんな筈はないと昭和57年メーデーの大阪稽古所で思い迷っている。8日に上京するので、上京早々確かめたい。浅草の会にも縁のあった紳士、いや、縁のある人です。笑い話になることを願っています。

有馬の島本栄女より切符頂き越路太夫さんの会へ

【義太夫を聴きに神戸へ雨メーデー】ぶんや

荷風に名作「雨蕭々」あり

【メーデーに籠る半日雨蕭々】ぶんや

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