岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第4回>|月刊浅草ウェブ

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甘えるな甘えるなと心がけても甘えてしまう。知人友人に対しても、世の中に対しても、どうにも甘え勝ちになる。浅ましいと思い、心引きしめて甘えないようになりたいと念じているのです。この頃、もう1つ自分に足りないとこのあるのが分った。これも甘えの一種だけれど、親切にされたり、暖かい言葉をかけられたりするとすぐに「いい気」になるということ、有頂天という程ではないけれど守るべき一線を越える軽率がある。他人の親切を疑うのはよくないけれど「さあお上り下さい」と言ってくれる親切を「いい気」に受け取って、玄関から茶の間、奥座敷まで案内なしに無遠慮に乗り込むような、そんな無礼さが私にないとは言えない。それに似た小さな軽率を屈々くり返して
いるのです。

>次ページ「人間、素直にならなければいけません」

親切に便乗した笑い話があります。私の先輩の新内語りが流しに出てお座敷へ呼ばれた。固くなっているのでお客が「師匠、どうかオタイラに」と言ったら、「ヘエ、あなたの鼻のようにネ」と答えたというのですが、これは愛嬌にもなりません。もう1つ、ちょっと筋は違うけれど年配の新内流しが、これもお座敷ヘ呼ばれて、お好みの「蘭蝶」を語る。一座の若い妓が珍らしく涙を流して聴いている。太夫すっかり「いい気」になりました。折りを見て廊下の隅で「あんた、私の蘭蝶を聴いて泣いてくれたネ」手を握りたい程の気持です。でもネ、返事はアテが外れました。「あたいのお父さん、新内好きでネ、よく蘭蝶を唄っていました、死んだお父さんを思い出しちゃった」ー以上、万事「いい気」になるなという自分へのイマシメです。

さて、「字」の話を致しましょう。「書」となると堅苦しくなる、「字」の話です。劇作家の大西信行さんは「クセのある字を書く文弥さん」と言い、永六輔さんは「文弥さんの字って、好きさ」と言ってくれます。人、さまざま、私の字にクセのあること紛れもなき事実で自分でも時々いやだナアと舌打ちしたり、60の手習いということもあればとて、安物の硯と筆を買って来て書いて見る、どうにもサマにならない。あの柔らかい毛筆が言うこと、きいてくれないのです。エエままよとばかり相変らず、濃淡なく、四角張って俗悪なるマジックのお世話になっているのですが、その悪筆の家元の私に、吐蒙・添田知道筆塚に彫り込む文字を書けと言うのです。みつともない、許して下さいとお願いしてもゼヒ書けと言う。子供のような字で恥かしいと言えば、その子供のような所が面白いと言う。無邪気だから子供の字は美しい。老齢の私に童心あるわけがなく文字だけ子供らしいというのでは気味が悪いでしょう。熊谷守一も中川一政も子供のような字書くけれど、立派な字を書く実力あっての崩しだから魅力がある。実力なく童心なく文字だけ子供らしいのでは見世物に過ぎないでしょうと固辞した私が遂におめおめと筆を取ったのはお墓の文字は正蔵(彦六)師匠と知ったからで、お墓が噺家で筆塚が新内語りということなら吐蒙さんらしく面白いナ、これは一つ恥を忍んで協力すべきと改心をした次第です。どうぞ笑って下さるな。弁天山に夫君唖蝉坊碑と並んで立つという、そこで一首ー

親子の碑/並び立ちたり霊あらば/その親と子と/笑み交すべし

「おい、お前の筆塚の字、誰が書いたんだ」「新内の文弥くんです」。そこで父子仕方なく苦笑いを交したーと想像するのです。

その筆塚の除幕式に小金井からわざわざ出席してくれると手紙をくれた高山続画伯の文字が清楚で分りやすくて私は大へん好きなのです。手紙に「良い名剌、どなたかえでも」と添田知道、大森馬込東4-251、771-5775と手書きの名刺同封あり、私も「どなた」か熱望の士に進呈したいと思っています。続いて先夜、駒形どぜうの別室で十人ほどの和気あいあいの句会の時の私の句について(席題「蜆」)ー

今は昔本所深川蜆売

さい果ての津軽泊りや蜆汁

よく若いものに騙されるので入れませんでしたが、師匠の句と解ったら好い句でした。人間、素直にならなければいけませんーとある。南北や黙阿弥の芝居で貧乏な子供の、蜆売り歩くいたいけな姿を見た覚えがある。また、戦時中、移動演劇隊の俄か仕立の役者として北津軽の十三潟あたりの陰気な佗しい旅で、蜆汁で、遠く江州虫生野に疎開中の老母が蜆を好きだったことを思い出したり、気にしなかった2句だったけど画伯の文字で見直したら棄てるは惜しい気になりました。美しい文字の功徳というものでしょう。

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