岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第10回>|月刊浅草ウェブ

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○情艶染之助

その新しい英太郎が女の新内語りに扮して芸の色気、人間の色気をむせる程に発散してお客を悩ませようとう芝居「情艶染之助」(小出龍夫作、戌井市郎演出)が浅草公会堂で上演される。私が好きで語る「行倒れ淀君」の主人公岡本宮子が禽語桜小さんという大看板の噺家と深い仲となり、虎の威を借りて威張るものだから楽屋の淀君と仇名される。やがて小さんは重病、宮子の人気も落ち、浮気の果てに世間からも見放され行倒れとなって生涯を終るという実話を新内浄るりに仕立てたものですが、心柄とはいいながら全盛きわめた芸界の美女の零落した姿と心の哀れさを近代青年英太郎の色気によって訴えようという作品。筋を運ぶ必要からも二三度照明を浴びながら唄うことになるらしいし太郎さん自身も染之助役の弾き語り「蘭蝶」ひとくさり、これは加賀師匠に稽古して貰っている。何にしても新内好きの方々にはぜひ見て頂きたい芝居です。

〇だいろ、だいろ

新らしい英太郎が越後生れというのも私には驚きです。岩室(いわむろ)というではありませんか。弥彦山の下でしょうといえばそうですと答える。若い時良寛和尚の五合庵に詣るべく山登りしたこともある。数年前同じ越後の新津の市山七十裕師匠が自費を投じて私の朗詠「良寛和尚草庵集」(レコード)を制作頒布している。作者の小出龍夫氏も良寛好みで調べているという、これも不思議な因縁。岩室といえば何はともあれ岩室甚句です。新内演奏でしばしば越後へ出かけた時分柏崎の戯魚堂(桑山太市)さんがおハコでよく渋い声で低唱された。数年前にも新潟市のなべ茶屋で延子という若い妓が岩室生れとかで歌ってくれ五体シビれたことを忘れない。三味線は咲弥姐さん。ひょうたん池の近くの飲み屋で落ちぶれた染之助たちが手拍子賑やかに岩室甚句を唄う場面があり、寂しいけれど微笑を誘われる。

△だいろヤだいろ、角出せだいろ/角を出さぬと曽根の代官へ申し上げるが/いかだいろ、アヨシタヤ、ヨシタヤ

亡くなった戯魚堂さんが「これは反権力の唱です」といってくれたことを思い出す。民謡はその土地で、その土地生れ、その土地育ちの人の声帯で聴くところに味がある。

〇残暑独居吟

朝涼しひとりのきょうの米をとぐ

花園歌子七七忌

「人生劇場」「お伝人情本」などいわゆる新内舞踊の先鞭をつけた舞踊家の一人、晩年環伎と改名、病臥ー

なつかしく歌子と呼べば秋の風

〇清元の宿

伊豆長岡温泉で一泊したあづま屋旅館の私の部屋が「青海波」気にしてみると「喜撰」だの「助六」だのみんな清元の外題尽し、女中さんに聞くとこの家の息子さんが寿国太夫師匠の門人で三味線勉強中とのことでした。

〇一たん怒ったら

兼て噴火噴煙の写真を欲しがっている私に門人が軽井沢から浅間山の絵葉書を送ってくれました。噴火の浅間、平和の浅間を小さな額に入れて見ています。ふだんはおとなしいが一たん怒ったら凄いぞ、怖いぞ、そんな人間になりたいと思うのですが、なれるか、どうか。

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