当然訪れる前に約束の日と時間は決めていましたが、玄関口でブザーを押すと、女中さんが顔を出し、こちらではありませんー裏にお廻り下さいーと怒った表情。強い口調に、裏手の台所口に立ちました。ジャンパー姿で、文豪宅を訪問する服装ではない私の姿に、女中さんがご用聞きと間違えるのも無理ありません。余り長く待たされ、台所のブザーを押して、女中さんに「川端先生とお約束してました浅草の織田と申します。先生にお取次ぎ願えませんか」とお願い。ようやくまた玄関から入り直したことを、今は懐かしく思い出されます。
先生から最初の題字をいただき、すぐに、こちらの字が良いと書き直して下さった現在使用中の題字。「しっかりやって下さい」との励ましの言葉までいただき先生の温情に感謝しました。更に浅草を舞台の「浅草紅団」の連載までお願いし、許可して下さった。ノーベル賞作家の出世作をタウン誌に連載できた誇りと喜びは大変な力となりました。
三社祭の宮入りは、ものすごい盛り上がりでした。先生は挨拶に立ちました。
「盛大な三社祭を見せていただき有難う。三社祭をますます盛んにして後世まで伝えて下さい。お願いします。」
観衆は立ち上がり手拍手で「川端先生万歳」と歓呼し、嵐のような拍手が起きました。
「浅草紅団」は、昭和50年12月から始まり、通券60号までの43回の連載でした。
川端先生との縁が、多くの作家、文化人の寄稿につながり、先生の目に見えない支えがあったればこそーと、今も感謝しております。
~月刊浅草500号記念によせて(平成24年・8月号)~
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