当時私は、文化放送に看板ラジオ番組を持っていた。旬な話題をゲストと気ままに語り合うスタイルで人気を博していたが、そこに勝っちゃんを呼んだ時のことだ。
「先日のコロンビアでの大地震を、勝さんはどう思う?」
「あぁ、あれはな、休火山だの死火山だの勝手に決めつけて、周りに住んだ人間が悪いんだ。山は、ただ自由に寝て、起きただけのことだろ?」
「何、その発想…世間じゃ、通用しないよ(笑)!?」
痛ましい日航機墜落事故が起き、私も大変親しくしていた坂本九さんが巻き込まれ、日本中が涙した時でさえ、
「でも、九ちゃんが全部背負って死んでくれたから、良かったんだよ。そうでなきゃ、もっと大惨事になってたさ。」
逐一この調子、全てが〈勝流〉なのだ!
ある年、長野の大きなクラブから正月公演の仕事が舞い込んだ。支配人によれば、前年は勝新太郎に依頼したが、ホテルの部屋で泥酔し、煙草からボヤ騒ぎを起こしたというのだ。原因は、出番直前に届いた、愛弟子・拓ボン(川谷拓三)の訃報だった。
勝っちゃんは、一度気に入った者はとことん可愛がる。ゆえに間違いを犯すこともあるが、公私の堺がなくなるほど密に付き合って初めて、客に伝わる情感というものがある。これは彼に限らず、往年の名優全てに通じる気質であり、芝居における大切な文化の一つだと、私は考えている。
敬愛する長谷川一夫先生が「何でも出来る役者でなければ、『座頭(ざがしら)』と名乗ることは認めません。」とおっしゃっていたが、勝ちゃんは間違いなく、座頭の名に恥じない、芸一途な名役者だった。
勝ちゃんのボヤ騒動から、思い出したことがある。
ある日、テレビをつけると、世田谷の高倉健さん宅から出火とのニュースが飛び込んできた。驚いた私は矢も楯もたまらず、当時住んでいた登戸の自宅から自転車をぶっ飛ばして駆けつけたのだが…。
次回は、高倉健・江利チエミ夫妻と、二人を可愛がっていた清川虹子の物語といこうか。
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