酔狂連企画の中で、一番大掛かりだったのは、やはり「赤線忌」だったであろう。
昭和43年3月、京町2丁目の旅館「やなぎ」を全館借り切って、かつての妓楼らしく設営したというから、大人の遊びも大変なエネルギーである。吉村先生が居たればこその企画でもあった。
「やなぎは、いわゆる転業旅館で、売春防止法以前は、かなり大きなほうの妓楼だった。現在ではすっかり改築してしまっているが、当時はまだ店の内外とともに、妓楼時代のたたずまいと風情を色濃く残していたものだ。」
「まず、その玄関脇の小部屋を、お内証ないし帳場に見立て、そこにお内儀というか女将役のした安達瞳子さんを座らせ、野坂昭如さんと大阪からわざわざ上京してきた華房良輔さんが牛太郎ないしポン引き役に扮して〝えー、お一人さん、ご案内ー〟とやらかそうという仕掛けである。」
「2階の大広間を宴会場とした。何人もの各社の女性編集者などを口説き落し、衣装屋から借りたお女郎風の長襦袢姿にさせて、お呼びした吉行淳之介さんをはじめとする〝お客さん〟たちと大酒盛り。」
「呼びかけに応じて面白半分に参加されたゲスト(お客)が、これまた大変なメンバーだった。吉行淳之介、故・梶山季之、故・川上宗薫、生島治郎、戸川昌子、永田力、故・六浦光雄、故・村松博雄、等々の各氏。それぞれに酔狂連レギュラーメンバーだった故・殿山泰司、田中小実昌、後藤明生、長部日出雄、石堂淑朗、小中陽太郎、佐木隆三、金井美恵子、等の諸氏。」
この赤線忌は、ゲストの対応に追われ、記録するスタッフが居なかったのか、1枚の写真も残されていなかったのが不思議でならない。
※掲載写真および記事の無断使用・転載を固く禁じます。