デン助参上!起て浅草(上)大宮敏光|月刊浅草ウェブ

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おいらデン助江戸ッ子だい、と歌の文句じゃないけれど, 浅草で生まれて浅草育ち、浅草の舞台も30年、年も50数年浅草に生きて来たが、近頃の浅草は昔の面影はなく、本当に悲しいよ。浅草と云や日本国中どこへ行ったって、どちらからと云われりゃ、エー浅草で、と東京の代名詞みたいなものだった。ところがどうだい、近頃じゃ東京の浅草ですと云わなきゃ通用しない御時勢だ、全く情けないと思うね!

大体、浅草は三つの街から構成されている。まず宗教の街、商業の街、次に観楽の街、とどうだい、これだけ揃っていてこの浅草が近頃さびれて行くと云う事は一体どう云う事なんだい・・・。

これには浅草の情緒と云うものがなくなったね!それは観音様も再建して立派にもなった、雷門もできたが、観音様だけに、たよっている時代じゃないよ。観音様だって一寸八分しかない、近頃の様に新興宗教が流行っている時だもの、そうそうはメンドウを見きれまい。

次に商業の街浅草、これは昔から浅草へ行きゃ安くて美味いものを食わせるって云うのが売り物で、また着る物でも何んでも安くて良い物を売るのが浅草だ。イヤー今は無いとは云わないよ。だがこれらの店が皆な忘れられてしまっている。浅草はこれが売り物なんだから。おかしく銀座や新宿の真似をしない事だよ、下町には下町でなくちゃと云うものがあるんだから・・・。

それから第3の観楽街だが、これほどあきれかえって馬鹿なものはないね。

昔の浅草は実演劇場がほとんどだったよ。歌舞伎、新派、剣劇、喜劇、レヴィユー、軽演劇、落語、漫才、講談、浪曲、義太夫、玉のり等実に見る物が沢山あった。その他に瓢箪(ひょうたん)池に藤棚、奥山に12階に花屋敷と他に洋画、日本画の映画館があった。今前述の様なものはテレビで見られるとは云うものの、テレビと生とでは違う。テレビで見られるだけなら映画俳優の実演に客が来ない訳だ。ところが実演となれば客は来る。なぜならば、やはり生が見たいからだ。ならば何故生・・・イヤ実演をやらないのだ。

近頃の様に渋谷、新宿、池袋イヤイヤ、もっともっと場末でも同時にやっている映画館ばかり並べてたんじや、浅草へ来いと云ったところで、だれが来るものか・・・。やはり浅草へ来なきゃ見られない物、食えない物、買えない物を並べてこそ浅草へ客は来るんだ。

それがためには各商店は自分のところで自慢のできる物をモットモット、アピールして、興行界は浅草へ来なければ見られない実演を増すことだ。

芸能界の者はほとんどと云ってよいくらいに浅草から出ている。浅草は演劇演芸の道場である。そのところで修業をし一人前になってテレビ・映画・ラジオに出して貰っている事を忘れて、今や浅草を馬鹿にしている大馬鹿者がほとんどだ。浅草での実演は出演料は安い。しかし、それを乗り越えて浅草を再び昔の浅草にする気の奴はいないのか・・・、全く悲しいネ。ただ一人浅草の灯を守って30年、これも浅草を愛すればこそだ。自分の育ったところを大切にしようじゃないか・・・。吉原の灯は消えた、せめて浅草の灯だけは消さないで欲しい・・・。

浅草にはまだまだ江戸ッ子が残していった下町気質が残っている。この下町の良さを東武電車のお客様だけでなく、山の手いや東京中イヤー日本中に、もう一度わかって貰いたい。

興行街、商店街の皆さん、頑張ろうじゃないか・・・。観音様よろしくおたのもうします。江戸ッ子デン助の身上わかって頂けた事と存じます。文中失礼のあった事はお許し下さい。何んと云ったって字の読めないデン助の云った事ですから・・・。

今後共浅草を御愛顧下さいます事をお願いして擱筆致します。

デン助劇団・大宮敏光

※写真の無断使用を固く禁じます。

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