◆竹本朝重さん 昭和の初めころ私が家業の新内を道具に使って戦争反対の浄るりを作り、ストライキの現場や農村へ出かけて演奏した。その時分に戦争反対なんていうと「非国民」といわれ、運の悪いのは豚箱へ放り込まれる。そんな時代によ […]
続きを読む岡本文弥|気まま黄表紙
岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第11回>|月刊浅草ウェブ
私の「芸流し人生流し」(中央公論社)の中に「歳時記」という部分があり、その9月の部にー竹本綾菊~美人の女義太夫。大正6年9月歿(ぼつ)、25歳、石渡つる子、綾容姿菊信女、台東区清川・出山寺。無縁になりかけていたのを岡田道 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第10回>|月刊浅草ウェブ
○ハナブサ太郎 新派の英太郎といえばどなたもあの小柄なずんぐり太り気味の、そしてあの花柳、水谷の花やかな芝居に、粋な年増で色どりを添えた、なくてはならない役者、その英太郎を思い出すでしょう。数年前になくなりました。いま新 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第9回>|月刊浅草ウェブ
○女流の仕事部屋 この年になってもまだ「これでいいのか」と思う。 いつになっても自分に満足できないのです。日常生活、心構え。だから有名人の伝記や言行録ふうな本を見て自分の心の穴を埋めたりする。林えり子さんの『女流の仕事部 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第8回>|月刊浅草ウェブ
○びんぼうしょう ある日の朝日新聞の「折々のうた」に【夕がほや/物をかり合ふ/壁のやれ】という俳句が取り上げられていました。 昔の金沢の俳人・堀麦水の作で、筆者の大岡信氏の解説によれば「<やれ>は敗れた所、夏 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第7回>|月刊浅草ウェブ
○季節外れ 入梅前というのに近所の路地に黄菊が咲いている。明治生れの私は菊というと11月3に日の天長節を思い出すのですが近頃は文明のお陰というのか食べ物でも草花でもみんな季節外れ、ふぜい風流地に落ちやしたと文明を軽蔑した […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第6回>|月刊浅草ウェブ
○故郷浅草 大阪での私の演奏会に、いつも聴きに来て下さる婦人の故郷が浅草ということで先日「浅草」誌を進呈したところ、たいへん喜んで下さって「浅草という字を見ただけで心がわくわくいたします。三社さまの氏子であった者にとって […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第5回>|月刊浅草ウェブ
○出世欲 石川啄木に「ひとがみなわれよりえらく見える日よ、花を買い来て妻と楽しむ」(ウロ党え)という意味の歌があります。私も、新聞や雑誌を見ながら、芸界に限って見ても、何というたくさんの芸人芸術家が活発に仕事をしているこ […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第4回>|月刊浅草ウェブ
甘えるな甘えるなと心がけても甘えてしまう。知人友人に対しても、世の中に対しても、どうにも甘え勝ちになる。浅ましいと思い、心引きしめて甘えないようになりたいと念じているのです。この頃、もう1つ自分に足りないとこのあるのが分 […]
続きを読む岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第3回>|月刊浅草ウェブ
○つらがまえ 笑顔で人に接するというと体裁はいいのですが私のはそんな立派なものではない。誰に逢っても意気地なくニャニヤ笑顔を見せるのです。べつに媚びるわけではないが精神にしっかりしたシンがないから、すぐにだらしなくニャニ […]
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