明けましておめでとうございます。いよいよ令和も5年目に突入した。皆さんは、次の言葉を覚えているだろうか。
「初春の令月にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」
これは、1200年以上前に成立したとされる現存する日本最古の歌集『万葉集』の一節で、「新春のめでたい月には、澄んだ空気がやわらかにそよぎ、梅の花は白粉をまとった鏡の前の美女のように白く咲き、蘭の花は身にまとうお香のような良い香りを漂わせる」といった意味である。現在の元号「令和」の「令」の文字の由来となったことで一躍有名になった。「令和」という元号には「文化をはぐくみ、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に心からの感謝をする」という意味が込められ、まさに新年にぴったり。皆様の令和5年がどうか健やかで平和でありますように、心よりお祈り申し上げる。
今回は新年最初のテーマとして、日本の文化財、特に国宝を取り上げたい。昨年の秋に東京国立博物館で行われた特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」は大盛況だった。これは東京国立博物館(以後、東博)の創立150周年を記念した展覧会で、東博の持っている89件すべての国宝を一挙に公開した。現在東博は、日本で最も多くの国宝(美術工芸品)を所蔵する博物館で、全国で902件あるうちの89件の国宝を所蔵している。
実は、戦前までの東博には国宝は一つも無かったらしい。当初の国宝指定の主な目的は、「社寺や個人所有の美術品の国外流出を防ぐため」だったので、流出のおそれがない東博の所蔵品は対象外だった。また、戦前の東博(当時、宮内省所管の「帝室博物館」)の所蔵品は、広義の皇室財産、すなわち「御物(ぎょぶつ)」に準ずるものであると考えられていたので、別枠のものと捉えられていたようだ。国宝の指定対象が見直されたのは戦後になってからだった。
国宝に指定された品は、言うまでもなく「本物」だ。「本物」の放つ迫力というのは凄まじい。歴史の荒波を乗り越えてきたという年月の迫力、時代を超えた「美」の迫力、当時の思想や価値観が投影された作品を通して垣間見られる先人たちの迫力、そして今回の展覧会では89件の国宝公開という数の迫力もあった。教科書やインターネット上で紹介されているようなものもあるが、実際に足を運ばないと分からないこと、感じられないことはたくさんある。
例えば、木造の「伝源頼朝坐像」(鎌倉時代、国宝)は、社会科の資料集に載っていたと記憶しているが、写真では実物がどのくらいの大きさなのかは分からない。実際、想像の10倍くらいの大きさだった。私の想像力が足りなかったと言ってしまえばその通りだが、同様の経験をしたことがある人は少なくはないはずだ。
また、現存最古の古今和歌集『元永本古今和歌集』(平安時代、国宝)は、色とりどりの染紙に孔雀や唐草模様が描かれ、ページによっては金粉箔が散りばめられた豪華な装丁になっている。その贅沢な紙に、流れるように書かれた書体は、えも言われぬ美しさだった。
ただ、「本物」こそが至高だと思われがちだが、同時に、実際の展示だけでは不十分なこともある。一般の来場者は国宝の品に手を触れることはできないので、見られない部分はある。「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)」(尾形光琳作、江戸時代、国宝)は、『伊勢物語』をモチーフにした装飾の美しい硯箱だが、箱の外側を見せていたので、蓋の裏側は見られなかった。図録の写真を見て初めて蓋の裏側に描かれた波の絵の存在を知った。また、実物の展示でも図録でも、重さや手触りまでは分からない。その意味で、レプリカも重要だろう。なるほど、博物館はこういったたくさんの学びや発見を与える「考える場」であるのだと気付かされる。
ふと、鳥獣の鳴き真似の名人だったかつての江戸家猫八を思い出す。「本物そっくりにやったって客は喜ばないんだ。本物より本物っぽい鳴き真似をやらなけりゃ…」
「本物」を保存・研究し、学びの場を提供する上野。
「本物」以上の「本物」を追求し大衆を楽しませる浅草。
お隣同士の上野と浅草だが、ここに両者の地域性の違いを発見した。
(月刊浅草・令和5年1月号掲載)
【筆者紹介】
活弁士・麻生子八咫(あそうこやた):父麻生八咫に弟子入りし、10歳の時に浅草木馬亭で活弁士としてデビュー。
活弁は、サイレント映画に語りをつけるライブパフォーマンスです。どうぞよろしくお願いします。
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