つれづれの記<第9回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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「なんて情緒があるの・・・」少女のように瞳を輝かせる小祝(こいわい)さんは父島で女酋長と呼ばれている。「小笠原の人たちは「鬼灯(ホオズキ)」知らないのよ、見せてあげたいなぁ・・・」
戦前、小笠原諸島父島に生まれ太平洋戦争では最前線の要塞基地となり、全島民が本土に強制疎開。戦後は米軍に占領された。
昭和42年日本に返還された父島に戻った小祝さんは一念発起1800人島民の糧となる食料、生活必需品の店「スーパー小祝」を開いた。現在も島一番の人気店である。

ー今から17年前、商店街で筆を走らせていたら「おじさん!面白い絵を描くね、私の店にも描いてくれない?」、振り返ってメガネがずり落ちた。派手なムームー髪にはハイビスカス南国ムードのオバチャンが手を振っている。「描いてもいいけどハワイじゃないよね?」「アハハ、もう少し近いよ、品川ナンバーが走ってるから」「?」冗談と思ってたらこんな人探してたと本人ノリノリ。こっちも底抜けの陽気さにのせられて商談成立。ついでに開催中の「四万六千日」を案内しろとは人づかいの荒い一元客だ。

「どうしても島民にみせたいなあ」「分った何んとかするよ。」安請け合いがエライことに・・・業者は〝亜熱帯じゃ持たないよ!〟取り合わない。ならやるっきゃない。各鉢に点滴装置を取り付け観音さまに祈る思いで小笠原海運に持ち込んだ。「中味は?」「ホオズキ4鉢」「そりゃ無理だ。前日おがさわら丸のコンテナに積載25時間の旅、引き渡しは翌日、72時間50度近いボックスじゃドライフラワーだね。ちょっと待った。小祝さんに送るの?参ったなあ。」専用のコンテナまであるとは一安心。世界自然遺産登録前だったのも幸運。           

ー数日後、小祝さんのはずんだ声。「ダンナでかした!皆んなでホオズキ囲んで島踊り、ピューピューならして大騒ぎ。南限は小笠原だね。でも生きてたのは2鉢だったけど・・・。」

ー’72年椿丸(1016トン)の航海は44時間かかっている。’97年二代目おがさわら丸(6700トン)が就航、20年近く竹芝~父島間を約1200往復。地球60周分に相当する240万キロを走った。
私はこの船で仕事の確認と2000年1月1日「ミレニアムご来光」を還暦記念にと父島に向かった。大晦日小祝さんの歓迎を受けた後、深夜ガイドの案内で最高峰中央山(319m)に登る。闇に光るキノコ、タコの木、奇妙な植物群、違う惑星かと見紛う神秘の森。やがて山頂が白みはじめ水平線が輝けば一閃!日本で一番早いお天道様が姿を現し登山客はバンザイ!次は千年先かと軽口気分で海岸に降りれば限りない透明度ボニンブルーの海。〝キュッキュッ!〟足を擽る珊瑚の白浜、感触を楽しんでたら「ミレニアム記念大海亀の放流にようこそ!」小祝さんの心づかいに背中に乗って戯れたら携帯がプルプル!「お前さん、いつから浦島太郎になったの?」テレビの日本列島元旦風景で父島紀行バレバレ。

ー今年7月2日三代目おがさわら丸(1万1千トン)が竹柴桟橋から処女航海に出航した。貨客船は前日積載、芝浦埠頭が狙い目と取材した(②)。90億円を投じた新造船は900人定員。エレベーターやバリアフリーも充実24時間の船旅。

②処女航海前日・芝浦埠頭

>次ページ「陳情派の子供を生むのに東京へ、急病人の対応にも飛行場と云うなら病院設置が本筋。ユネスコの懸念に繋がらないことを願う」

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