リーダーの三波伸介は、昭和5年、東京生まれ。日大芸術学部を中退後、浅香光代一座などいくつかの劇団で修行を重ね、昭和32年に東洋興業へやって来ました。浅草フランス座の舞台へ立つことを希望していたのですが、ちょうどその頃病気から復帰して再び脚光を浴びていた渥美清と芸風的にかぶるところがあったため、新宿フランス座のほうへ配属されたのです。けれど、これこそがまさに笑いの神様の粋な計らい、“サプライズ人事”だったようです。もしも希望通りに浅草へ配属されていたら、おそらく「てんぷくトリオ」は誕生していなかったでしょうから!
新宿フランス座には、かつて浅香光代一座で同僚だった戸塚睦夫(昭和6年、東京生まれ)が在籍しており、二人は思いがけずの再会を喜び合いました。そしてもう一人、伊東四朗との出逢いもまた運命的であり、とても面白いエピソードです。
当時まだ二十歳そこそこだった伊藤輝男青年・のちの伊東四朗(昭和12年、東京生まれ)は、もともとは浅草・新宿両フランス座の常連客でした。ストリップというよりも芝居のほうに夢中で(たぶんね、笑)、せっせと通い詰めていたようです。それがあまりに熱心なものだから、演者のほうも顔を覚えてしまい、“あ、アイツまた来てるぞ”なんてね、すっかり名物客となってしまいました。
そんな彼に、あるとき芸人の一人が“オイ、ちょっと遊んで行けよ”と声を掛けました。素直で誰にも可愛がられる性格の伊東は、それからしょっちゅう楽屋へ出入りするようになり、一介の客を通り越してある意味身内的な存在に。そしていつしか、芸人たちの副業…というか、むしろ生業ともいえる(笑)、キャバレーでの”ショクナイ”に駆り出され、三波や戸塚の手伝いをするようになったのです。
◆身を賄い、芸を磨き、根性を培い・・・芸人たちを育てたキャバレーの存在~
キャバレーでの“ショクナイ”?…聞き慣れない言葉ですよね。ここで少し、当時の芸人たちの生活とは切っても切り離せない存在であったキャバレーと彼らとの関係性を、説明しておきましょう。
新宿フランス座のショーは、浅草と同様ストリップ一時間半と芝居一時間の二部構成。芝居人気も高かったけれど、やはりメインは華やかなストリップのほうです。当然、踊り子と芸人の間には相当の収入格差がありました。芸人たちは、座長クラスでもどうにか食べていける程度、下っ端に至っては楽屋に寝泊まりし、先輩たちに助けられながらかろうじて生きている感じで(笑)、給料だけではとても暮らしてゆけません。
そんな彼らの生活を支えていたのが、キャバレーでの副業。エンターテイメント性の高い大衆的な酒場として昭和30年代に大流行したキャバレーでは、さまざまなジャンルのフロアーショーが催され、コメディアンたちも引く手数多でした。東洋興業は専属契約制ではありませんから、副業も自由。ほとんどの芸人が小屋の仕事がハネた後、求められるままにキャバレーに赴き、多い時にはひと晩で五件、六件と仕事をこなしました。この内職(ナイショク)をひっくり返して“ショクナイ”と呼んでいたのです。
ショクナイによって芸人たちが得たものは、単なる生活の糧だけではありません。
キャバレーでもやはりフロアーショーの花形は踊り子でしたから、彼女たちの出番を心待ちにしている酔っ払い客に芸をまともに観てもらうのは、至難の業です。ちょっとでもつまらないことを言えば「お前なんか観に来たんじゃないぞ、男は引っ込め~!」「早く綺麗なお姉ちゃんたちを出せ~!」と、野次の嵐ですからね(笑)。芸に磨きもかかるはずです。こうして知らず知らずのうちに、一流の芸人として息の長い活躍をするための下地を築いていたわけですから、ここもまた彼らの聖地であり、貴重な修行の場。キャバレーで培われた底力は、日銭に勝る何よりの報酬となったのです。
ショクナイでの修行も功を奏し、三波、戸塚、伊東の三人は日々絆を深め、めきめきと頭角を現してゆきました。人柄がよく穏やかで、性格的にも共通するところのある彼らは、人間としての相性も良かったのでしょう。途中色々なことがあったけれど、互いに助け合い、穴を埋め合いながら、大変な時期も見事に乗り越えてゆきました。
苦労の多い下積み時代ではありましたが、そこには、はたから見ても眩しいような煌めきが、確かにありました。年齢も境遇もばらばらの三人が、まるで青春真っただ中の少年ようにきらきらして見えましたものね。
芸の上では一歩も二歩もリードしていた三波が先にテレビ業界へ進出し、てんぷくトリオを熱心に売込み、その後の大ブレイクへのきっかけを掴みました。三波は単独でも「笑点」「NHKお笑いオンステージ」の名物コーナー「減点パパ」「夜のヒットスタジオ」など数多くの人気番組で活躍し、昭和を代表するテレビスターにまで昇り詰めましたし、最初はフランス座のお客さんから始まった伊東も、コメディからシリアスまで幅広くこなし、その人柄も慕われる素晴らしい俳優として今現在も大活躍中なのは、ご存じの通りです。若くして亡くなってしまった戸塚については本当に残念ですが、相棒たちの活躍こそが、何よりの供養でしょう。
それにしても、出逢いというのは不思議なものだとつくづく思います。たった一つの出逢いで開花する者もいれば、小さなボタンのかけ違いで不遇のまま終わる者もいる。てんぷくトリオのように、一の力が十にも百にも膨れ上がり、大きな飛躍を遂げることも…。努力・実力はもちろんですが、最大の財産である人と人との絆を大切にしてこそ、光り輝く未来への道が拓けてゆくのでしょう。
さて、次回からはまた浅草に舞台を戻し、お話を進めてゆきたいと思います。浅草フランス座のエース二人、東八郎と萩本欽一の深い絆とは…?どうぞ、お楽しみに!
松倉久幸(浅草演芸ホール)
(口述筆記:高橋まい子)
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