「常盤座・金龍館・東京倶楽部」大正初期の浅草にシネコンの原型らしきものが?!<第35回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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まずは、三館それぞれの略歴をご紹介しましょう。
「常磐座」の開業は、なんと明治20年まで遡ります。浅草公園六区初の劇場であり、創立者は木馬亭で有名な根岸一族の初代・根岸浜吉。歌舞伎、新派劇、連鎖劇などの興行に始まり、次第に映画の上映にも力を入れるようになりました。
浜吉が設立した根岸興行部は明治44年、常磐座の隣地に「金龍館」を開業。この劇場は大正後期に訪れた浅草オペラ全盛期、『根岸大歌劇団』の拠点となったことで知られています。さらに大正2年には並びに映画劇場「東京倶楽部」も開業。常盤座(明治45年に改字)を挟み、向かって右側に金竜館、左側に東京倶楽部という立地でした。

三館のポジションとしては、常盤座が黄門さまで金竜館と東京倶楽部が助さん・格さんといったところ(笑)。また、劇場としての性格もはっきりしていたので、ニーズに合ったファン層から支持を得ました。
各館それぞれに素晴らしいのですが、さらに驚くべき最大の特徴は、なんと二階が連絡通路で繋がっており、共通券を購入すれば何度でも自由に行き来できるという、大正5年当時としては実に画期的なシステムを作ったことです。共通券の料金は、一階席が十銭、二階席が二十銭。これは、近隣の映画館一回分とほぼ同額ですから、“一回で、三度オイシイ!”ということ(笑)。浅草六区を最高峰の興行街に導いた根岸興行部のアイディアは、やはり飛びぬけています。もっとも、一日かけて三館全てを回遊できる人がどれだけいたかは疑問ですが(笑)、庶民が束の間過酷な日常を忘れ、ささやかな楽しみとして文化の香りに触れる間口を開いたという意味において、大きな役割を果たしたと思います。

さらには、数年後に訪れる空前の浅草オペラブームの追い風となったことも、見逃せません。
以前この連載でも取り上げましたが(第21回)、浅草オペラの始まりは、アメリカ仕込みのダンサー・高木徳子と西洋文化に精通した演出家・伊庭孝が結成した「歌舞劇協会」が大正6年に常盤座で上演し、大ヒットしたオペラ『女軍出征』とされています。以後、浅草オペラは常盤座から金竜館へと軸足を移し、金竜館は大正9年に結成された根岸大歌劇団の舞台として、浅草オペラの全盛期を彩りました。両館の盛況を受け、大正に入って建てられた東京倶楽部は、洋画の封切館として確立。良質な洋画がどんどん入り、人気弁士たちが華やかに活躍していた時代ですから、もちろんこちらも大成功です。
常盤座のさまざまな芝居、金竜館の浅草オペラ、東京倶楽部の洋画…たった十銭二や十銭で、流行最先端の大衆文化を心ゆくまで満喫できるのですから、三館共通券は、まさに夢のチケットですね!できることなら大正時代の浅草にタイムスリップして、 街の空気も含め、ぜひとも当時を体験してみたいものです(笑)。

しかし大正12年、思わぬ悲劇が襲います。そう、関東大震災。六区興行街のシンボル・空に聳える凌雲閣も真っ二つに折れ、夢の街は一瞬にして、瓦礫の山と化しました。震災で壊滅的な被害を被ってしまった根岸興行部にもはや余力はなく、三館の経営権は松竹へ渡り、昭和6年までに次々と新築され、再スタートを切りました。いずれも地上三階地下一階建て、お洒落で重厚感のある立派な建物です。三館共通券のシステムがいつまで続いたのかは判然としませんが、例の連絡通路も、ちゃんと再現されていました。
装いも新たに復活した三館は、その後どうなったか。
常盤座は、エノケンと双璧をなした喜劇役者・古川ロッパらが起ち上げ、大人気となった軽劇団「笑いの王国」の拠点となり、戦後もストリップ、軽劇、映画と時代のニーズに応え続けましたが(昭和40年に「トキワ座と改称」)、六区興行街自体の地盤沈下には抗い切れず、昭和59年に休館。地元民の強力な後押しで昭和62年に奇跡の復活を遂げるも平成3年、多くのファンに惜しまれつつ、一世紀以上の歴史に幕を下ろしました。
金竜館は戦後、「ロキシー映画劇場」と改称、洋画館となり、さらに昭和58年には「浅草松竹映画劇場」に。東京倶楽部は戦前から一貫して洋画専門館の立ち位置で頑張り続けましたが、両館とも常盤座と運命を共にし、平成3年、閉鎖・解体となりました。

奇跡的に戦火を免れ、平成の世まで持ちこたえた趣ある建物は、単なるモノではなく、華やかなりし時代の街の息吹を宿した、いわば歴史の生き証人のような存在でした。そういう宝が跡形もなく奪い去られてしまう度、心が痛んでなりません。
しかし我々は、前へ進まねば。失われたものの存在を嘆くのではなく、沢山の楽しみや悦びを与えてくれたことに、感謝を込めて。
形あるものは、いつか消えてゆくのが宿命。けれど、人の心に刻み込まれた思い出は、永遠ですね。この街を愛してくれた方々の貴重な記憶を拾い集め、これからも少しずつ、この頁に記録し続けてゆきたいと思います。

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