【冬の蚊も ふと愛おしく 長く病み】
【好きだから つよくぶつけた 雪合戦】
【さくらんぼ プッと吹き出し あとさみし】
【パイパイに つつまれし夢 ハンモック】
【蛍消え 髪の匂いの なかに居る】
【乱歩読む 窓のガラスに 蝸牛】
渥美清の作った句です。もともとは、3年にも及んだ肺結核療養時代、手慰みに短い詩を書きつけていたのが俳句を始めるきっかけになったようですが、こうしてあらためて読んでみると、一見武骨な彼の内側に、こんなにも柔らかで素晴らしい感性が隠されていたことに、今更ながら新鮮な感動を覚えます。
新人文芸部員と花形役者いう立場を越えて二人が意気投合したのは、感性の優れた者同士が共鳴し合い惹かれ合ったという、必然の成り行きだったのでしょう。井上君は思う存分に実力を発揮し、次々と優れた脚本を書き続けてくれました。彼の持つ計り知れない才能の一部分は、こんな風に惚れ込んだ役者のために作品を創る過程で引き出され、開花したところもあるでしょうし、それは渥美にしても同じことで、井上君のペンの力に触発されて益々芸に磨きをかけ、その後の躍進のきっかけを掴んでいったのだと思います。
人と人とは必要な時に自然と巡り逢い、お互いから全てを学び尽くした時、また自然に別れてゆくのだといいます。渥美が映像の世界に引き抜かれてからそう間を置かず、井上君もまた、フランス座を去って行ったのでした。
後年、作家となった井上ひさしは、彼独特のユーモアを交えてこんな言葉を残しています。
『浅草フランス座は、ストリップ界の東京大学だった。』
本当にそうだったのかはわかりませんが(笑)、何はともあれ、“東大卒”の天才二人はそれぞれの道で大成し、多くの人に夢や希望を与えてくれました。そして、フランス座が若き才能の出逢いの場、切磋琢磨の舞台となったことは、本当に喜ばしいことであり、何よりの誇りです。
さて、もちろん二人が去った後も、フランス座が才気溢れる若者たちの青春のステージであり、日夜熱いドラマが繰り広げられていたことは、言うまでもありません。長門勇、関敬六、佐山俊二、谷幹一、東八郎…次は、誰のお話をいたしましょうか…?
松倉久幸(浅草演芸ホール)
(口述筆記:高橋まい子)