東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第26回>「榎本健一(えのもとけんいち)」
今、われわれ浅草六区興行街は一丸となり、「大衆芸能のメッカ」復活への道を模索中ですが、ただ闇雲にその場限りの「おもしろいこと」を持ってきても、一瞬のブームで終わってしまうのは目に見えています。
笑いとは、そんな薄っぺらいものじゃない。人々の暮らしの中から生まれ、その土地の歴史や時代を背に、演じる者と観る者とが時間をかけて共に作り上げてきた、立派な文化なのです。
往年の浅草芸人の多くが一芸に甘んじることなく実に多才であり、息の長い活躍をしてきた理由は、修業時代にその「文化」を丸ごと吸収したからに他なりません。彼らは例外なく勉強家であり、偉大な先輩たちの芸をわが手に掴もうと、絶えず研究していたものです。
今回は、そんな浅草芸人たちの神様的存在にして〈日本の喜劇王〉、戦争を挟んだ暗い時代を底抜けの笑いで包み込んだエノケンこと、榎本健一のお話。
全盛期は昭和10年代頃ですから、今や彼の芸を知らない世代も増えましたが、少なくともエノケンという愛称くらいは、誰しも耳にしたことがあるのでは?
この人の存在なくして浅草の、いや、日本の笑いは語れない。のちにロック座・フランス座のコメディアンたちにも多大な影響を及ぼした偉大な喜劇人の功績は、やはり各方面から、書き残しておくべきだと思うのです。
>次ページ「全浅草芸人の中に、〈エノケンイズム〉は息づいているいる!」