東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第20回>「フランス座のスペシャリストたち」
前回は、戦後の曇天を吹き飛ばし、真夏の太陽さながらの熱さでこの街を元気にしてくれた、踊り子さん達のお話をしましたね。今月は、そんな彼女らとともに華麗なショーを作り上げていた人々、フランス座のスペシャリスト達にまつわるエピソードを、紹介したいと思います。
言わずもがな、ショーとは、それに関わる全員の汗と涙の結晶。表舞台と裏舞台、そのどちらにも分け隔てなく、スポットライトを当ててあげたいのです。
昭和20~30年代にかけ隆盛を極めた、ストリップ文化。そのブームは全国的なものでしたが、やはり日本一の繁華街・浅草での盛況ぶりには、目を見張るものがありました。古き良き昭和の色香漂う美しいショーの多くは、今思い返してみても、実にアーティスティックでハイレベルなものだったと思います。
その背景には、終戦と同時に堰を切るように傾れ込んできた、アメリカ文化の多大な影響がありました。以前もお話したように、当時、新作映画の封切は浅草に限定されていましたから、西洋文化のエッセンスは、いち早くショーの中にも取り込まれ、どこよりも洗練された、良質なエンターテインメントとしてのストリップが誕生したのです。
若い方には信じ難いかも知れませんが(笑)、あの頃の浅草は、時代の最先端を行く流行の発信地、とてもお洒落な街だったのですよ!
フランス座でも、連日連夜、華やかなショーが繰り広げられ、爆発的な人気を博すようになりました。
特筆すべきは、キャスト・スタッフともに、本当に素晴らしい人材に恵まれたことです。戦後の混沌の中、活躍の場を追われた芸術家や仕事を失った職人達が結集し、それぞれの分野で豊かな才能を発揮して、他の追随を許さない最高の舞台を築いていってくれたのです。
フランス座のストリップショーの売りのひとつは、一流の音楽家による生演奏に乗せて踊るということでした。
バンドマスターは、一度耳にした音楽はどんなものでも譜面に落としてしまうという、天才肌。海外のレコードなんて、時代遅れの代物しか手に入らなかった頃に、最新のジャズや映画音楽をあっという間に舞台で再現してしまうのですから、鬼に金棒です。ストリップにさほど興味はなくとも、音楽目当てにやってくるお客様も、大勢いました。音楽が魅力的なら、踊り子さんのやる気だって当然違ってきますよね。大迫力のライブ演奏に、美しきダンサーの妖艶な舞…これぞまさに、夢のステージです!
さらにこの時期、優れた役者勢が浅草に集まっていたことも、追い風となりました。
戦前から人気を誇り、数多くの名優や作家・演出家を輩出してきた老舗劇場「ムーランルージュ新宿座」 や「築地小劇場」等が、経営難により次々と閉鎖に追い込まれ、行き場を失くした演劇人が、活路を求めて続々と浅草へ流れて来たのです。
浅草にストリップ劇場は多々あれど、ショーのみならず、1時間半もの芝居を上演している小屋はうちだけでしたから、彼らはこぞって東洋興業の門を叩きました。むろん、我々にとっても渡りに船です。ずぶの素人を一から育てるのとは違い、すでに豊富な舞台経験を持つ彼らは、即戦力となり活躍してくれました。特にムーランルージュは、元をたどれば浅草軽演劇の流れを汲む劇場でしたから、カラーもぴったり。役者だけでなく、裏方として芝居の底上げに尽力してくれた者もいましたね。
裏方といえば、忘れちゃならないのが文芸部。
文才に長けた者が在籍し、芝居の脚本を書くのが主たる仕事ですが、実はもう一つ、大変な任務があるのです。
その仕事とは”進行係”。文字通り、舞台の進行全般を司る重要なポジションで、一見カッコイイようにも思えますが、要は、舞台に関わる雑用全般の責任者です(笑)。幕の上げ下ろしからマイクの調整、音出し、出演者の呼び出し、踊り子さんの身の回りのお世話…芝居の出演者が足りない時には、急遽代役を務めることも!
この栄えある(?)役職は、駆け出し時代の井上ひさしや、ビートたけし(文芸部がなくなった後は、芸人見習いの仕事となった)も経験しています。
衣装や各種小道具の調達も進行係の役目ですが、大道具に関しては、その道のプロが在籍しており、彼ら専用の控室もきちんと用意されていました。
特に、大道具の親方は誰からも一目置かれる存在でした。その仕事ぶりはもとより、内側からずっと舞台を観続けてきた相当の見巧者ですから、芸人達も、親方
の反応はずいぶん気にしていましたよ。なんせ面白い芝居ならずっとソデから観ているけれど、そうでなければふいと控室へ消えてしまうんですから。進行係も設営を手伝いながら、親方に大切なことを沢山教わっていたようです。そういう意味でも、”縁の下の力持ち”的存在でしたね。
このように、多くの人が介在し、彼らのもたらす有形無形のあらゆるモノが集まる劇場という不思議な空間は、さまざまな事情を抱えた人間の溜まり場ともいえるけれど、芸事を志す者にとってはまさに宝の山であり、同時に、皆がさりげなくお互いを気にかけ、手を貸し支え合う、家庭のようなあたたかい場所であったのかも知れません。
アパート代も払えない貧しい若者達が、しばしば楽屋で寝泊まりしていたことを、懐かしく思い出します。
徹夜稽古用の貸布団で眠り、舞台衣装を私服代わりにし、優しい踊り子の姉さん達の差し入れで腹を満たし、兄貴同然の先輩芸人にみっちりしごかれ、親父のような職人さんに人生訓を叩き込まれ…。丸裸で転がり込んでも、何とでも生きてゆける人情が、そこにはあったのです。
もちろん、劇場に足を運ぶお客様は、そんな裏の事情など、知る由もありません。しかし何も言わずとも、舞台には全てが表れるもの。キャスト・スタッフそれぞれが相互に持つ敬意や同志愛が、ピンと張り詰めつつも心地よい独特の空気感を創造し、ショーの魅力を2倍にも3倍にも膨らませてくれたのでしょう。
彼ら一人一人を、今、心から誇りに思います。
(口述筆記:高橋まい子)
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