ぶっきらぼうで、枕詞のごとく「バカヤロウ」「コノヤロウ」を連発するほど口の悪い男でしたが(笑)、本当は面倒見がよく、情に脆く、心根の優しい愛すべき人柄でしたから、芸人仲間に慕われ、いつしか浅草中のコメディアンから憧れと敬意を込めて“師匠”と呼ばれるまでの存在になってゆきました。
深見千三郎がロック座の舞台に上がれば、一般客に交じって若きコメディアンたちが客席を埋め尽くす…そんなこともしょっちゅうでしたっけ。同時代を浅草で過ごし、深見千三郎の天才的な芸に直接触れることのできた芸人たちは、本当に幸運だったと思いますし、深見千三郎自身にとってもまた、流浪の前半生からやっと解き放たれて浅草に腰を据え、芸人としても脂の乗りきっていたこの頃は、とても幸せな時代だったのではないでしょうか。
深見千三郎がロック座で活躍していた当時在籍していたコメディアンは、東八郎や、後にビートきよしとなる兼子二郎など。以前他の小屋で同僚だった長門勇は、病に倒れた渥美清の穴を埋めるためロック座からフランス座へ移籍した直後で、それからまもなくテレビ界へ行きましたから、この時期にはほぼ接点はなかったと記憶しています。
それにしても、病から復帰した渥美清、長門勇、目をかけていた東や欽坊(萩本欽一) も次々とテレビ界へ巣立ち、当然深見千三郎にも幾度となく誘いはあったはずなのに、彼は終始一貫してそれを拒み続けました。左手の障害を人様の前にさらすのは忍びない、同情心が先に立っては純粋な笑いの妨げになる、というのが理由の一つだったようですが、決してそれだけではなかったろうと、私は確信しています。
深見千三郎は、浅草芸人としての誇りを、貫きたかったのです。
もちろん、出世して中央に出てゆく者たちのことは、心から祝福していたでしょう。でも、だからこそせめて自分だけはここに残って、浅草の芸を守ろう。伝統の砦となろう。そして、口とは裏腹に愛情深い彼のことですから、愛弟子たちが壁にぶつかった時、ふと懐かしさに駆られた時、いつでも帰れる場所を守っておいてやりたいと、そんな風に思っていたのではないでしょうか。
人の心は、変わるもの。仲間たちがブラウン管の中で活躍する姿を見るにつけ、正直悔しい思いがなかったはずはないでしょうし、決心の揺らぐこともあったでしょう。
むしろそれが当然で、仮に深見千三郎が気持ちを変えてテレビ界へ進出したとしても、誰も責める者はいなかったはずです。けれど、彼はそうしなかった。一本野太い筋の通った、本当に立派な男でした。
名実ともに、「伝説のコメディアン」たる所以です。
色々ないきさつがあり、昭和46年、東洋興業は事実上ロック座の経営から手を引くこととなりました。これに伴い、一時閉鎖していたフランス座を浅草演芸ホールの4階に復活させたのです。深見千三郎は、長年のロック座での功績を認められ、この新生フランス座の経営を任されることになりました。具体的には東洋興業と深見千三郎が収益を折半する「歩興行」という経営スタイルです。
こうしてフランス座での彼は、社長・芸人・師匠という三足の草鞋を履くことになったんですね。芸と後進の指導に関する手腕は誰もが認めるところでしたが、経営者としての才覚は、未知数です。周囲の期待に対するプレッシャーも相当なものだったでしょう。表には出さないまでも、随分苦労をしていたと思います。
しかしここにも、きらきらと輝く希望の光は差し込みました。…もう、お解りですね?そう、深見千三郎の芸人人生最後にして最高の弟子、〈最愛の息子〉といっても過言ではないほどの存在…あの青年との出逢いです。
彼との出逢いによって深見千三郎は、座長として天才コメディアンの名を欲しいままにしていたロック座時代とはまた別種の、まるで無邪気な青春時代を追体験するような穏やかな幸福感を味わったのではないでしょうか。それは波乱に満ちた人生の中、壮絶なフィナーレに向かう一歩手前の束の間ではありましたが、芸人として、また一人の人間としても、間違いなく至福の時間だったと思います。
フランス座が復活して、はや1年あまり。いつものように粋なスーツ姿で出勤し、エレベーターに乗り込んだ深見千三郎に、緊張した面持ちで声を掛けてきた二十代半ばの青年がおりました。このエレベーターボーイの名こそ、北野武。…深見千三郎とたけし、運命の出逢いの瞬間です…!
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(口述筆記:高橋まい子)