東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第31回>「益田喜頓(ますだきいとん)」
前回は、ロック座・フランス座の広告物全般を製作してくれた宣伝部員たちの物語でした。我が社に来る前は浅草花月劇場で活躍していた、今でいうグラフィックデザイナーの草分け・星合林三さんのデザインしたロゴが「珈琲アロマ」の看板に現在も使用されているというエピソードも、ご紹介しましたね。
浅草花月劇場、珈琲…というキーワードから私は、浅草に縁の深い偉大なコメディアンのことを、思い出しました。 益田喜頓(ますだきいとん)。戦前・戦後を通じて大活躍した昭和を代表する喜劇役者の1人です。
出身は北海道ですが、芸人の町と呼ばれた田島町(現在の西浅草界隈)に長く住まい、地域に馴染んで浅草っ子に愛された人でした。颯爽と町行くダンディな姿を記憶している方も、この辺りにはまだ多くいらっしゃるのでは?
今回は、ライバルの浅草花月劇場の芸人とはいえ(笑)、ロック座とはお隣同志、個人的にもご近所さんだった親しみ深い喜頓さんについて、お話したいと思います。
>次ページ「素顔の喜頓さんはステージで観るまんま、とてもカッコイイ人でした!」