東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第39回>「劇場の裏側ツアー・完結編」
前々回は浅草演芸ホール、前回は上階の東洋館と、2回に渡り、普段はなかなかお見せすることのできない劇場の裏側を紹介してきました。前後編で完結するつもりだったのですが、嬉しいことに意外にも多くの反響があり(笑)、もう少し詳しく知りたい!とのお声をいただきました。
特に多かったのは、『ビートたけしをはじめとする修業時代のコメディアンらが寝泊りしていたという楽屋は、まだ現存するの?現存するなら、ぜひ見てみたい!』というご要望でした。…結論から申しますと、その楽屋は、ちゃんと保存されています。
あの頃の若者たちの青春が詰まった楽屋。今となってはがっちり施錠され、誰も出入りすることはなくなりましたが、もしかしたら〝笑いの神様〟がひっそりと暮らして、劇場を見守ってくれているのかもしれませんね(笑)。
そんな懐かしい話をしていたら、なんだか私も、久しぶりにあの楽屋を、見てみたくなりました。
考えてみれば、朝から晩まで芸人さんやスタッフが動き回っているてんやわんやの日常では、なかなかゆっくり劇場の隅々まで見て回るチャンスもありません。コロナの影響で、比較的人の出入りが少ない今だからこそ、出来ることかも知れませんね。この機会に、昭和臭のぷんぷん漂う(笑)貴重な場所を、もう少し掘り下げて探索してみるのも、面白いでしょう。
そんなわけで今回は、〈伝説の楽屋〉も含め、前後編だけでは収まりきらなかった劇場内の歴史の産物を、引き続きご紹介したいと思います。
最初に、前回説明しきれなかったところを、写真を追加しながら補足しておきましょうね。
まずは、この赤い欄干。
前号でも少し触れましたが、かつては演芸ホールと東洋館(新設当時は東洋劇場)の位置関係が逆で、ここが寄席だったころに設置されていた2階席の名残です。実際の2階席は今残っているスペース(映写室を中心に、舞台の左右までぐるっと伸びる通路)よりだいぶ広かったのですが、現在は壁で埋められ、約半分ぐらいの幅になっています。
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