わずかにその頃の片鱗が見て取れるのが、こちらの写真。
壁で覆われたスペースの一部が物置小屋に作り変えられましたが、その扉を開くと、欄干がそのまま残っていますね。客席として使われていた頃の床は畳敷きで、そこへ座布団を敷いたり、その余裕もないぐらい満員の時は、地べたに座っていただいたり、お客さんが文字通り〝ひしめき合って〟いたのです。超過密状態、コロナ対策の点から見れば、完全アウトですね(笑)!
お次はこちら、舞台に向かって右上にある、ピンスポットが並んでいる半円形の部屋。
時々お客様からも、〝あそこは、何をするところ?〟とのご質問をいただきます。確かに、客席側から見ると、なかなか素敵で興味をそそられる小部屋ですね(笑)。
中へ入ってみると、こんな感じ。
舞台から客席まで、会場全体を見渡すことができます。ここはフロントサイドライト(前方両脇から舞台を照らす照明装置)を調整する場所。天井こそ低いものの、数人が待機するには十分なスペースです。ちょうど反対側にも同じ照明装置がありますが、あちら側は、部屋にはなっていません。なぜこちら側だけがわりと立派な(?)部屋の設えになっているかというと、ストリップショーをやっていた頃に、踊り子さんがここから螺旋階段(E)を伝って、舞台へ降りてゆく演出のために利用していたからです。生バンドの演奏をバックに、ムーディーなスポットライトを浴びながら一段、一段、階段を降りてゆく踊り子さんの妖艶な美しさに、お客さんは釘付けとなっていたものです。目をつむると、今もありありと浮かぶあの華やかな光景、人々の熱気…懐かしいですね。
では、いよいよ、今回のメインテーマ。
師匠の深見千三郎に誘われて第一松倉荘(東洋興の寮的なアパート)へ移る前に、たけしが一時的に暮らしていたこともある、〈伝説の楽屋〉へ!
舞台袖から舞台裏手の廊下へ出ると、楽屋がいくつも並んでいます(これらは、現在も使っている)。
一番奥の楽屋へ入り、さらにその奥の扉を開けると…暗がりに、急勾配の階段が。なんだか、忍者屋敷の隠し部屋へ通じているみたいで、ちょっとスリリングですね(笑)。ここを上がってゆくと、ついに目的の場所へ到着です!
手探りで電気のスイッチを探し、鍵を開けて中へ入ると…
入り口には1畳ほどのリノリウム貼りのスペースがあり、そこを上がるとさらにもう一つ、扉があります。
白いペンキで塗られた木枠に紫色のアクリル版が張られており、なんとも時代がかった、妙な味わいが(笑)。
このドアを開けると、4畳ほどの畳の間、そして押し入れ。当時は、ここに貸布団がぎゅうぎゅうに詰まっていたはずです。
こうして久しぶりに見ると、思っていたよりきれいな状態で保存されていて、今でもなんとか使えないことはなさそうですが(笑)、現在ではもう、泊りがけで稽古をすること自体ありませんし、あの頃のように、今日の宿がない、明日食べるものもない…というほど困窮している若者は、殆どいないのでしょう。
あの頃、お腹をすかせ、煎餅布団にくるまりながら、コメディアンの卵たちはこの部屋で、どんな夢を描いていたのでしょうか。大きな夢を結実させ、スターになっていった者、夢破れ、別の道を歩んだ者…行く末はそれぞれ違っても、誰もが一生懸命に生きていたことだけは、確かです。
そう考えると、この楽屋も、やはり貴重な歴史を刻んだ大切な場所。とても愛しく思えてきます。
新しい才能を発掘し、未来を担う人材を育てることも我々の役割なら、一方で、こうした過去の痕跡を大切に保存し、伝えることもまた、重要な仕事だと考えています。
過去を賛美するためではありません。今を生きる人たちに、頑張る気持ち、ワクワクする感じ、楽しむ心を呼び覚まし、元気になってほしいから。
エンターテインメントは、時代を超越した心の特効薬だと、固く信じています。
(同行取材:編集人・高橋まい子)
※掲載写真の無断使用を固く禁じます。