浅草誌半世紀・名随筆の足跡<4回・高沢圭一「女剣劇と私」>|月刊浅草ウェブ

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おかしなことなぞ、いくらも世の中にあるが、いまでも解らないことのひとつ・・・。
ある日、大阪の何劇場だったか忘れたが、このたびはご多忙中を態々と私の劇を観ていただき、花まで贈っていただいて有難う・・・という意味の手紙を貰らい、差出人を見ると当時有名な女剣劇の大江美智子さんである。
女房はヒヤかすし、当人はチャントこうしているのに・・・第一、私はそういう種の芝居を観たこともないし興味ないのです。
これがきっかけで多少気にしてはいましたが、たしか二、三回便りを頂き、私はファンになっていたワケです。
それから10年近い時が流れた今は、なさけないことに大江さんだったか、浅香さんだったかさえ忘れ去っているのです。遠い浅草の灯のように・・・。
ところが一回だけ私は観ていたのです。いまにして思い出したのですが、浅草在住の不良中年紳士、瀬戸口寅雄氏から招かれて、小屋も忘れたが、一夕を楽しくすごしたことがあったのです。そしてさらに考えるにことによると、このストーリーも(花を贈ったり、大阪まで彼女の芝居を観に行ったり)彼のシワザではないかな・・・といまごろ気がついたのですが、問いただしてもみず、こんなこと自体が楽しい想い出のひとコマとして、浅草を背景に書き出したワケです。
だいたいこの瀬戸口という男、わたしにパンツを貸してくれといって抜がせた奴です。いろいろのモノを貸したり借りたりはするが、パンツなぞというモノはあまり例がないことであるし、これからもないことと思うが、サワヤカなようなクサイような想い出である。
正直に申して浅草といえば彼に引き出されて行ったていどで、まことに暇がないのです。冬の寒い日に浅草寺の境内で色色紙を描かされたり、芝居を観せて貰ったり、だいたいロクなことがなかったようです。
戦争の真さい中に、玉川一郎氏が酒を飲ませるウチがあるからと、五、六人でゾロゾロと彼のアトをついて露地から露地と歩いたことがあって、どうもその中に、今は逝い火野葦平なぞもいたように思われるが・・・どうであったか。
さてさてこうした冊子には、郷愁みたいな、なつかしさばかし並べる文が多いものなので、私は浅草という街全体について、明日の浅草を・・・考えてみたい。どうも今の浅草は何かアイディアに欠けている。浅草が東京の世界の浅草になるには・・・どうするか、真剣にまとめてみたら面白いビジョンが生まれると思う。私がアメリカのラスベガスを訪れたときの第一印象は、ここはアメリカの浅草だと思った。それだけのことであるが、そこから捨てるもの、つくるもの・・・と発展させる方向を考えたら、世界中の一流ショーマンは浅草へ、観光客の集まる浅草、ギャンブリングの浅草、女と酒の浅草、浅草だけは許された地帯・・・として、徹底した姿を作り出す。そのためにはそうとう〈捨てる浅草〉がある。勇気がいる、強い政治力がいる、情熱をかけて説得し、引率するリーダーがいる。浅草の魅力を世界に・・・私は心からその運動のもり上りを期待してます。

【洋画家・高沢圭一~昭和46年6月号掲載~】

※作品の無断使用を固く禁じます。

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