吉村先生は、『吉原酔狂ぐらし』の中の「区会議員選挙病」で、こんな風に語っている。
「われながらナンセンスな軽演劇的人生を送ってきたものだと思うのだが、そのもっとも象徴的なハチャメチャのハイライトが昭和46年の台東区議会議員選挙への立候補からだった。それなりの粋がったキッカケからだったが、いずれにしろ身のほど知らずの行動もいいところだった。・・・野坂さんがラグビーに打ち込むようになるまでの一時期、一党はいろいろと江戸の粋狂人を気取った趣向の稽古ごとや遊びに熱中していたのだ。京都の祇園でニセの結婚パーティーをやったり、日本テレビの〝11PM〟に集団出演してお葬式のマネゴトをやったりしたが、そのへんでもうタネぎれになってしまった。そこで、選挙をやろうと誰かがいい出した。」
「・・・よし、やろうと決まって、やはり舞台は上野・浅草の下町がいいということになった。下町の住人で、しかもメンバーの中ではヒマ人のわたしと、熊さんこと熊谷幸吉氏(居酒屋かいば屋主人)の両人が前面に押し出され、わたしが候補者、熊さんの選挙事務長、という役割りだった。わたしも早速ワルノリして、〝苦界から区会へ〟というキャッチフレーズをつくったりした。」
「・・・一同いずれも初体験なので準備にテンテコ舞い。事務長の熊さんは、供託金を払いに行ったり、選挙カー用のレンタカーを借りに行ったりで、大忙しだった。公示当日、区役所に行って選挙の七ツ道具をもらってくると、いよいよ選挙運動開始となった。選挙ポスターは、イラストレーターの黒田征太郎さんが描いてくれたもの。黒田さんの選挙ポスターというのは、後にも先にもこのときだけの貴重品だ。」と残念がっていたが、吉村先生の手元にもないとあれば、幻のポスターなのであろう。
「推せん人には野坂さんをはじめ、殿山泰司さん、田中小実昌さん、長部日出雄さん、金井美恵子さん、等々、といった豪華版。軟派の川上宗薫さんと硬派の小中陽太郎さんが並んで名を連ねていたのも壮観で、候補者本人の名が、もっとも影が薄い印象だったのは是非もない。」と、謙虚に結んでいる。
台東区の住人である私としては、お遊びの延長で区議会議員になられては、迷惑な話と思っていたので、期間中は、つとめて吉村先生に近付かないようにしていた。吉村先生も心得たもので、投票の依頼など、一切しなかったからありがたかった。
幻のポスターをうかがい知る、唯一の写真である。右から殿山泰司さん、候補者・吉村平吉、黒田征太郎さん、野坂昭如さん、司会役の女性は、元新国劇の女優・宗田千恵子さん。撮影・峠彩三さん、会場は木馬亭であろう。
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