大阪の吉本興業が、東京浅草に進出してきたのは、昭和三年であった。遊楽館についで、昭和座を手に入れ、梅沢昇一座や金井修一座の剣劇をやっていた。東京吉本を経営しているのは、常務の林弘高氏(現在の社長)で、一時は日活の前専務江守清樹郎氏が居ったこともあるし、戦後吉本の重役になった千葉祐造氏が、昭和座の地下室で、宣伝をやっていたことがある。
昭和十年ごろだったが、金井修一座は軍事劇を出していた。機関銃や鉄砲が必要だったから陸軍報道部に嘆願、東部第六部隊から借用になった。昭和座では、劇の宣伝になると云うので、劇場前に機関銃を飾り、俳優達が交代で監視していた。
ある日、軍事劇が終わり、機関銃を劇場前に飾り、二人の俳優が監視についたが、一人は二等兵だが、一人は将校である。日曜日だったから一日三回、お客は兵隊が多かった。機関銃の見張りをやっている俳優の兵隊を見分けることができない。しかも将校が立っているから、兵隊はびっくりして敬礼する。俳優の将校は、よい気持ちになって、よしよしと返礼、そのうち、変な将校だと思う兵隊があって、浅草の憲兵隊に知らせた。憲兵が来てみると、偽者の将校が真物の兵隊によしよしとやっている。憲兵は怒るまいことか。「こりゃ、帝国軍人を侮辱するとは何事だ、こい!」
将校の俳優は、憲兵に叱られながら、憲兵隊に連行された。金井修一座は大騒ぎ、常務林弘高氏が謝罪に行ったり、釈放運動を頼んだり。林常務も仕方がないから、浅草憲兵隊に貰ひ下げに行って、始末書を取られた。剣劇華やかなりしころの一挿話だが、それから間もなく、金井修にも召集令が来た。金井は陸軍中尉だ。金井が出征すると、愛妻中条喜代子が女剣劇となり、活躍することになるのである。
【作家・瀬戸口寅雄~昭和45年5月号掲載~】
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