第3回「原えつお(はらえつお)~ハラ薬局店主・漫画家~」
今回の主役、原えつおさんは、かっぱ橋本通りにある「ハラ薬局」のご主人。店先に立てば丁寧に薬の説明をしてくれる頼もしい薬剤師さんですが、実は漫画家としても活躍中。本誌連載「ポポ君の浅草さんぽ」も、お人柄そのままのほのぼのとした作風で大人気!それにどうやら、他にもいくつかの顔をお持ちのようですよ…。
ハラ薬局の創業は、昭和25年。当時のかっぱ橋通りは、美空ひばりの「お祭りマンボ」さながら、活気と人情に満ち溢れた魅力的な商店街でした。近所の子供達と思いきり遊び、大人達に温かく見守られ、古き良き昭和の香りの中、びのびと成長したえつお少年。
萩原楽一先生の画塾「かっぱ会」に通っていた小学生の頃から漫画家に憧れていましたが、高校卒業後は長男として家業を継ぐため、薬科大学へ進学。ところがこれも神様の粋な計らいだったのでしょう、丁度その年に、学習漫画の第一人者である秋玲二氏とNHKの人気番組「ジェスチャー」で作画を担当していた金森健生氏を主任講師とする「YMCAマンガスクール」が開校。憧れの両先生の下で学ぶ絶好のチャンスを得て、昼は大学、夜は漫画と、2足のわらじ生活が始まります。 YMCAマンガスクールは日本で2番目に出来た漫画の学校。珍しさも手伝い、第一線で活躍する漫画家・文化人達が講師として入れ替わり立ち替わり訪れて下さったそうです。手塚治、やなせたかし、馬場のぼる、玉川一郎…超一流の先生方から指導を受け、製作に没頭できた贅沢な青春の日々は、まさに夢のような時間でした。
大学卒業後は修行のため製薬会社に10年、調剤薬局に2年在籍しましたが、不思議と行く先々で社内報の連載や印刷物の挿絵などを描く機会に恵まれ、気がつけば今日まで、漫画の仕事が途切れたことは一度もありません。
「本当に幸せで、有難いことです。」
漫画を専業にしたい、という思いは常に心の奥にありますが、最近、ふと思うのだそうです。薬局のお客様たちとのあたたかい交流があるからこそ上手くバランスがとれて、楽しい漫画が描き続けられたんじゃないか、と。
取材中訪れたお客様を目を細めて見送る優しい表情から、どちらも間違いなく天職なのだな、と感じました。
「これじゃ、漫画の話だけで終わっちゃうねぇ。」と笑う原さんですが、
●街おこし事業「浅草かっぱ村」助役
●笑芸研究会「有遊会」世話役
●劇団「にんげん座」美術兼道具係
という、3つの活動にも力を注いでいます。
飲み屋さんで偶然居合わせた画家の今村恒美先生に誘われて入った「有遊会」をきっかけに、ひとつの出逢いが次の新しい扉を開き、そこからまた…と、不思議な縁に導かれるようにして広がっていった、大切な絆たち。3つのライフワークは人生を彩る多くの出逢いと学びを運んでくれる、かけがえのない存在となりました。そして、これらの活動を通し、浅草六区の復活に尽力したい、という、地元っ子としての切なる願いも抱いています。
最後に、今後の夢についてお聞きしました。
「4コマ漫画の連載をやりたいです。出来れば、東京新聞で!それから、清水崑先生や小島功先生のような、皆に愛されるかわいい河童の漫画も描いてみたいですね。」
落ち着いた口調ながらも漫画への熱い思いを語ってくれたそのお顔は、自ら描くニコニコ顔の登場人物たちに、まさにそっくりなのでした。
漫画家・原えつおとしての名刺には、「うふ漫画同人」という、不思議な肩書きが記されています。これはマンガスクール時代の仲間と作った名称で、「おもわず“うふ”と笑みがこぼれてしまうような、幸せな漫画を」との思いが込められているのだそうです
いつか日本中に愛くるしい河童のキャラクターが溢れ、東京新聞を開けば毎朝うふっ、と笑える…そんな日が来ることを、楽しみにしています!
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)