「子宝」心と表現<第24回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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【銀(しろがね)も金(こがね)も玉も何せむに
勝(まさ)れる宝
子に及(し)かめやも】

万葉の歌人、山上憶良の短歌(うた)である。

11月22日ご招待を受けて、私はとても素敵な宴に参列していた。30年近い間、私の活動を温かく見守り支えて下さったU夫妻の、「米寿を祝う会」が幕張のホテルで催され、何を置いても駆け付けねばと、車を走らせたのである。プール脇に南国のリゾートを思わせる、パーティールームが独立している。早目に到着したつもりだったが、会場には既に着飾った招待客が、三三五五挨拶を交わしたり、飾られている写真に見入って談笑している。

ご夫妻共に米寿を迎え、そのお祝いと銘打っているが、今日の招待客はそのほとんどが夫人の交友関係と見ていい。恐らく人選には苦労したであろう。それ程夫人は社交家で広い人脈を持つ、地元の名士である。
匝嵯市(旧・八日市場市)で、大きな建設業を営む夫君との間には、3人のご子息があり、ご長男、ご二男は父上の跡を継ぎ、三男様はガス会社の社長として立派に独立している。パーティー当日も、ご長男が先達ってご来場の皆様にご挨拶を、ご二男が司会進行の役を、そして三男様はにこやかに各テーブルを廻りながら、シャッターを押す係……と、三人三様その持ち味を生かしながら、気配り目配りを忘れない。それぞれの伴侶お孫6人、曾孫が4人、4世代がこうして一同に集う事の倖せは、ご本人ばかりでなく、私達招待客の心をも温かい気持にしてくれる。

最初の出合いは、幕張メッセで開かれた「千葉県図書館フェア」と云う催しだった。毎年県内各地で開かれているこの催しの、この年は市川市が当番と云う事で、企画、製作に携わっており、オープンしたばかりの幕張メッセが会場に選ばれていた。各分科会終了後の鑑賞会の舞台に、私が指名されていたのである。
図書館中心に、各地で活動しているグループが県内各地から集まり、シンポジュームや分科会などの行事に参加した後の鑑賞会である。樋口一葉の「十三夜」を語り終えた私の許に、真っ先に飛んで来たのが、地元で読書会のリーダーを務めていたUさんである。〝是非、八日市場へいらして下さらない?〟以来、数え切れない程足を運び、私の博品館、三越劇場、カメリアホールなどの公演の折には、地元からバスを仕立てて大勢で駆け付けて下さったのだ。

パーティールームに飾られた沢山の写真の中に、お互い若き日の想い出が何枚も残されていた。
明るい窓辺に、一枚の振袖が衣桁に飾られている。華やかな友禅模様のそれは、夫人が嫁ぐ日身に付けていた花嫁衣装だと云う。たった今仕立上がって来たばかりかと思える見事な一枚には、ご両親の深い愛を感じる事が出来る。
「この男なら、お前をきっと倖せにしてくれる」父上のひと言が、彼女の首を縦に振らせ、以来60余年それなりのご苦労があったにせよ、私の目から見れば絵に描いたような倖せな人生である。
何よりの宝は、3人のご子息である。この日も役割を分端して母上の為に動き廻り、その喜ぶ顔に満足している様が見て取れる。その傍らで優しく見守る夫君の姿に、〝この男なら……〟と、先見の明を持った父上のことばが頭を横切る。

万葉の時代から現代まで、〝子に勝る宝なし〟、の考えは母親が胎内にその子を宿した瞬間から、植え付けられたものだろう。

【傍らに吾子(あこ)といふもの眠らせて
女子(おみなご)の幸を知りそめぬわれ】

炭坑王の許に嫁いだ柳原白連が、紆余曲折の人生の後、やっと平穏な生活をとり戻し、初めての子を出産した時の短歌である。

【しっかりと飯を食はせて陽にあてし
ふとんにくるみて寝かす仕合せ】

【朝に見て昼には呼びて夜は触れ
確めをらねば子は消ゆるもの】

2010年、乳ガンで64歳の生涯を閉じた歌人河野裕子の短歌である。
時代はそれぞれ違っていても、子に対する母の想いだけは全く変わっていない。

我が家には、5人の子宝がある。しかも、全員娘である。〝また、女の子?〟、眉間に皺を寄せてがっかりする大姑の声が甦る。
長女は現在51歳、銀行員の夫との間に男の子が3人、長男は大学院生で古典の研究に取り組んでおり、わが家からは車で5分の処に住んでいる。
二女と三女は共に横浜在住、大学卒業と同時に看護士として働き、独立して行った二女も、銀行マンの夫との間に二男一女を設け、三女は工務店経営の夫を助けながら、2人の女の子を育てている。四女はわが家の隣に家を持ち、ヨシカミ三代目の夫と共に、これも2人の女の子の母となっている。
長女から四女まで、ほゞ年子に近い状態で誕生しており、私はいつ起きていつ床に入ったか解らぬ程の、多忙な時期を送っていたような気がする。5年程空いて誕生した末娘でさえも今年42歳、群馬県中之条で消防士の夫と共に、2人の男の子を育てている。

50数年前、2人の男女が出逢って家庭を築き、振り返って見れば一族24人に膨れ上がっている。しかも全員が健康に守られ、人並の暮らしが出来ている事が、何より有難い。
孫の行く末を心配したところで、それは出来ぬ相談だが、今の私に出来る事は、娘達が元気でしっかり家庭運営をして行く事、唯、それのみを祈っている。
〝私が育てた娘達だ!心配ない!〟、と云う自負はいつも持っている。相続で姉妹が争うような財産は、残念ながら何ひとつ無いが、何億のお金にも増せる宝が私達にはある。夫も私も常々それを心から誇りに思っているのである。共に傘寿と喜寿を迎え、健康に守られながら現役を貫いている両親を、娘達も誇りに思っていてくれるだろう。残された時間はそう多くは無いが、出来るだけ迷惑を掛けないよう、自立した親の姿を見せていこうと思う。

〝今日も一日倖せでした。ありがとう〟
床につく前、必ず心の中で口にする、私の思い……合掌。

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