「天の岩戸開きの巻」心と表現<第19回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

前日に梅雨明けが宣言された沖縄那覇空港に降り立ったが、既に真夏の太陽が容赦なく照りつけていた。
6月25日(日)県立武道館で上演予定の、第2回「奥武山(おうのやま)大琉球神楽」に出演の為、半年ぶりの訪沖である。
3月22日に現地入りをしたのだが、今、日本中の観光地が抱えているうれしい悲鳴同様、ここ沖縄も外国人観光客で溢れ、ホテルがなかなか思うように取れないのが現状になっている。常宿にしていたホテルも連泊が厳しく、唯一可能だった那覇ビーチサイドホテルにチェックイン、後輩の稽古を見たり、ラジオ番組のゲスト出演を果たして、24日(土)には武道館でのリハーサルが行われる。「奥武山 大琉球神楽 」は、琉球八社の1つ奥武山の沖宮(おきのぐう)が主宰する神楽で、昨年その第1回の幕を開けた大イベントである。
神話の世界を題材にした物語が展開し、毎年平和の使者として選ばれたゲストを中心に、様々な芸能が披露される。それはどれも息を飲む迫力で、観客の視線を釘付けにする。
昨年の第1回目、平和の使者として登場したのが、世界的和太鼓奏者の林英哲さん。勇壮な彼の太鼓は、武道館を埋めた人々の心に響き、初代神武天皇を題材にした公演は、大成功を納めたのである。

>次ページ「神が守護して下さったのを知った。」

2回目の今年は、歌手の沢田知可子さんをメインゲストに迎え、テーマは「天の岩戸開きの巻」に決まっていた。
そこで、私の役目は・・・?と云うことになるのだが、端的に云えば水先案内人、あるいは狂言回しと云ったところだろうか。全体・物語を解りやすく、短い説明で表現しながら進めていく、重要な役割でもある。
中央メインステージの下手に、私専用のお立台が作られている。数日前から仕込み作業に入り、照明、音響、大道具その他大勢のスタッフ関係者が、準備を整えて待っていて下さった。
演出の安田達也さんの指揮で、場面毎のリハーサルが順調に進み、午後7時から本番通りのゲネプロが行われた。昨年よりも動きが加わった私、語り手の演出にも何んとか無事応え、終了したのが9時、深夜に及んだ昨年を思えば上出来である。

衣装その他の身の回りの品を入れたスーツケースを楽屋に置いて、ひとり先に失礼したのが10時少し前、朝入館した時の楽屋口の扉を押して外へ出たのだが、周囲は外灯ひとつ無い漆黒の闇であった。この時危険を感知して戻り、表口へ廻れば何事も無かったのだろう。しかし、朝入ってきた場所でもあり、概ねの想像は付いている。これが過信であった。一歩一歩注意深く足を進めながら歩く私のつま先に何か異物を感じたのである。〝転んだら大変!〟と云う意識が、咄嗟に右手を地面に付かせたのだろ。結果的には尻餅をつく形になった。一瞬何が起こったか判断できない位の、あっと云う間の出来事だった。恐る恐る立ち上がってみたが、とりあえず歩ける・・・ようだ。右手に強い痛みがあったが一刻も早くホテルに戻りたい。幸いタクシーにはすぐに乗る事が出来、改めて右の手の平を見ると血が出ている。ハンカチで拭くと小さな穴がふたつ空いていて砂粒が入り込んでいた。尖った砂利道に思いっきり右手を付いたためであろう。気が付くと腰も重い。無我夢中でホテルの部屋に辿り着き、着物を脱いで調べて見たが、打ち身などの心配は無さそうである。浴槽にお湯を張りゆっくり浸った。数年前に体験したギックリ腰の痛みが甦ってきた。転倒を避けるつもりでついた右の手に、思った以上の力が入り、腰に異常を来したのかも知れない。ベッドに横になったが思うように寝返りも打てない。まんじりともせず夜を明かした。

沖縄の夜明けは遅く、夏の5時でもまだ外は暗い。体を起してみたが、腰の重さと痛みは当然のことながら去ってはいない。急に吐き気が襲ってきた。〝骨折〟の2文字が脳裏を掠める。もし、そうだとすれば代役を立てなければならない。右手が上手く上がらず髪を結うことも出来ないし、当然のことながら帯も結べない。事態はかなり深刻である。
しかし、少しずつ体を動かし様子を見ていると、僅かずつではあるが、上がらなかった右手が肩の高さまで上がるようになり、髪を結うことも出来た。骨折の心配だけはなさそうである。いつもの何倍もの時間をかけて着物を着、迎えの車を待った。食欲は全く無い。
この分なら誰にも気づかれずに、本番を務められそうだ。

午前9時、出演者全員揃っての成功祈願神事に参加しながら、昼の部の開演に備えた。
今年のテーマは「天の岩戸開きの巻」で、広く知られているアマテラスが天の岩戸に隠れた為、世の中が暗黒に包まれ禍いが蔓延ると云う伝説の物語。何んとかアマテラスの怒りを納めて岩戸から出て頂こうと、八百万(やおよろず)の神々が相談し、アメノウズメが岩戸の前で得意の踊りを披露する。一心不乱に自己の責任の下、舞い続けるアメノウズメの姿に、心を打たれたアマテラスが、岩戸を開け姿を現す。
誰もが一度は聞いたことのある神話伝説だが、数百名を越える出演者ひとりひとりが、〈その心〉になって届けた舞台は、やがて観客の心の扉を開け、演者と観客がひとつになっていく様子を、目のあたりにした気がしていた。

腰の痛みも忘れて必死で務めた舞台、これも又自己責任のひとつである。夜の部も無事役目を果たし、来年を約して別れを告げ一旦ホテルへ。一日中張り詰めていた緊張の糸が、この時プツンと切れた。この日ほとんど何も食べていないのに、空腹感が全く無い。只、横になりたい。湿布薬と痛み止めで少しは楽になってはいるが、無事終わった安堵感で私の中の〝やる気スイッチ〟が一気にシャットダウンしたのである。本来なら沖宮の境内で、賑やかな打ち上げパーティーに参加する筈なのだが、その気になれない。担当者に初めて理由(わけ)を話し、帰京予定の27日まで、海の見えるホテルのベッドで、横たわっていたのである。那覇港に入れ替り立ち替り入ってくる、大型客船を見つめながら。

それにしても・・・と思うのは、これまで大したアクシデントにも見舞われずに来れた事は、奇跡に近かったのだと云うことである。与えられた使命を、忠実に果たしている姿に、神が守護して下さったのを知った。

熊澤南水 プロフィール
朗読家。
1941年東京生まれ。小学6年生のとき青森県西津軽から東京に移り、そこで津軽なまりを笑われたのが言葉へのこだわりの第一歩だった。
40歳のころ、偶然手にした一本のテープ、朗読家 幸田弘子さんが語る樋口一葉の十三夜が心に新たな、風を吹き込み、言葉への想いをつのらせた。以来、俳優 三上左京氏指導のもと、“南水ひとり語り”を全国各地で繰り広げている。
浅草の洋食ヨシカミの元女将が語りの世界で彩る。
◉女優 吉永小百合さんとともに下町人間庶民文化賞を受賞
◉文化庁芸術祭大衆芸術部門優秀賞を受賞

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

公式月刊浅草ウェブ|メールマガジン登録

【登録時間わずか1分】

公式月刊浅草ウェブでは、浅草の文化芸能を知りたい方へ毎月1回メールマガジンを配信させて頂きます。

ご興味ある方はぜひご登録よろしくお願いします!

※記入項目は3項目(メールアドレス・お住まい・ご興味持った理由)

※クリックしますとGoogle Formへジャンプします。

個人情報の取り扱い・プライバシーポリシーをご確認下さい。


メールマガジンご登録はこちらです