平成8年博品館での「にごりえ」で、初めて芸術祭の参加承認が得られ、公演の5日目の舞台が審査対象となった。
7名の審査員がお揃いになり、何事もなく舞台は進み、やがて幕が降りた。終演後、直ちにロビーに出てお客様を見送るのが、常の習慣になっている。
その日も、最後のお一人がエレベーターに乗り込むのを見て、やっと肩の力が抜けていくのを感じていた。
すると、私の後方から一人の紳士が近づいて来られ、「私は、今日の審査員のひとりKと申します。大変素晴しい舞台でした。これからも頑張って下さい。」
そう声を掛けて下さったのだ。
「ありがとうございます!」
天にも昇る気持、と云うのは多分こう云う時の事を言うのだろう。私はこの時既に賞を掌にした、と勘違いしていた。傍らでこの一部始終を見ていた、製作会社のEさんは、唯ニコニコするだけで、然程喜んでいる様子は無い。
「南水さん、初参加初受賞は先ず有り得ませんよ、3回位挑戦してやっとスタート地点に立てるのです。これからです。」
この世界の仕組みを良くご存知の彼のことばは、否定する余地のない程説得力があった。
文化庁芸術祭は、10月から11月にかけて約1ヶ月強の間に、関東地区、関西地区に分けて各部門でその技を競うのである。
ラジオ、テレビがそれぞれドラマとドキュメンタリーの2部門、演劇、音楽、舞踊、そして大衆芸能となり、それぞれ大賞、優秀賞、新人賞が授与される。
ひと口に大衆芸能と云っても、落語、漫才、講談はもとより浪曲、新内、端唄、果ては路上パフォーマンスまで、鎬を削る激戦区でもある。毎回沢山の人が参加希望の書類を出し、選考委員会で篩に掛けられ、やっと承認が得られて、チラシに参加公演の文字が載せられるのである。ここまででも並大抵ではない。
私の2回目の参加は、初参加の平成8年から既に8年経過した、平成年の三越劇場、この年は樋口一葉が5千円札の肖像に起用された年でもあり、演目は「大つごもり」だった。以後年同じく三越劇場の「にごりえ」、22年上野奏楽堂での「十三夜」、24年矢来能楽堂での「猩々乱」、26年カメリアホールでの「津軽」と、初参加から数えて6回の挑戦を重ねている。しかし、答えはなかなか出て来ない。尤も最終選考まで縺れ込んだ時も有ったようだが、あと一歩と云う処で入賞には到らなかったのである。
そして、自分の中では最後の挑戦と思って望んだ、昨年のカメリアホールでの「お吟さま」、土壇場のそして崖っ縁での7回目であった。
75歳を目前にした身で、2時間近い大作を暗記するのは、至難の技である。半端な事ではこれまでの自分をも否定しかねない。覚悟が必要だった。
しかし、それ以上に「お吟さま」と云う作品に惚れ込んでいた。細胞がザワザワと騒ぐ音が聞えてくる。その情熱が私の肩を押してくれたのである。
これまでにも、好い加減な気持で務めた舞台は一度も無い……と自負している。お客様もその時々で最高の評価をして下さった。
しかし、今回の「お吟さま」は、これまで以上の褒め言葉を残して下さったのである。手応えは確かにあった。それだけでも充分に幸せだった。
審査の発表は年末……と記されている。
運を天に任せて、予定されている公演を、ひとつひとつ丁寧に務めてその時を待った。
そして、仕事納めを明日に控えた、27日の夕方5時、ネット上での一斉発表となったのである。受験生が発表を見に行って、多くの数字の中から、自分の番号が浮き出て見えた……と云う事を聞いた事がある。確かに、名前が一段と濃く飛び出している感があり、それでも信じられなくて何度も目を擦っては確かめて……を繰り返していた。
大賞には残念ながら該当者なし、と云う事でその変わり優秀賞が2名選出されており、日頃から親しくさせて頂いている落語家古今亭菊之丞さんであった。
「おめでとうございます。菊之丞です。お互いに良かったですね」
すぐに電話が入り、いつもの明るい声がいっそう華やいでいた。
「本当に!諦めなくて良かったと、つくづく思っています。でも、貴男はもうとっくに受賞しているものと思っていましたが……」
「いえいえ、毎回落とされていました」
今回対象となったのは、鈴木余一会「独演会」での成果と記されているが、彼の若丹那ものには定評があり、やはり「湯屋番」が演目の中に入っている。親子の酔いっぷりで見せる「親子酒」、そして芝居噺の「淀五郎」と、三席バランス良く配したのも功を奏した、と総評にあった。
私の受賞理由は、次のように記されていた。
「第一部、第二部ともに分近い朗読だったが、空でこなす力量。テキストの世界感をあますところなく表現するために、ほどよい演出を加えつつも、あくまでも主軸は自身の朗読という清々しい姿勢が聞き取れた。
明瞭な発音、言葉への丁寧なアクセスを積み重ね、それをひとつの世界に昇華させた技量は、長年、朗読に真正面から取り組んで来たひとつの到達点であると評価する。」
今が最盛期かと思われる、津軽十三湖のしじみ漁、あの黒い山の中からたった一粒のしじみを探して、光を当てて下さった審査員の皆様に、唯、唯、感謝!
熊澤南水 プロフィール
朗読家。
1941年東京生まれ。小学6年生のとき青森県西津軽から東京に移り、そこで津軽なまりを笑われたのが言葉へのこだわりの第一歩だった。
40歳のころ、偶然手にした一本のテープ、朗読家 幸田弘子さんが語る樋口一葉の十三夜が心に新たな、風を吹き込み、言葉への想いをつのらせた。以来、俳優 三上左京氏指導のもと、“南水ひとり語り”を全国各地で繰り広げている。
浅草の洋食ヨシカミの元女将が語りの世界で彩る。
◉女優 吉永小百合さんとともに下町人間庶民文化賞を受賞
◉文化庁芸術祭大衆芸術部門優秀賞を受賞