○びんぼうしょう
ある日の朝日新聞の「折々のうた」に【夕がほや/物をかり合ふ/壁のやれ】という俳句が取り上げられていました。
昔の金沢の俳人・堀麦水の作で、筆者の大岡信氏の解説によれば「<やれ>は敗れた所、夏の夕暮れ、夕顔が白い花を咲かせている長屋だろう。隣同士足りないものを借り合うなごやかな暮らし」とある。以前にはよく見られた隣近所の付き合いで、何も、貧乏に限ったことではないが、とりわけ下町での日常風景、こんな句の好きな私は若い時からの貧乏性、明治天皇崩御の新聞号外が玄関へ放り込まれた当時の私は母と姉との3人暮し、小石川原町窪地の四軒長屋、壁を隔てて植木職、人力車夫。初めて電灯が引かれて部屋に一つの五燭の電気がまぶしかった。爾来九十の近い今日まで貧乏性を持ち続けーと自慢する筋ではないけれど、高層ビル林立の谷間の古風な小路の隅っこのひとり暮し、老化現象なきにしもあらずですが「いや、近頃は弄花幻想曲フシ付けを楽しんでおりやす」などと相変わらず浮世を茶にする逃避性は、落語席出演数年間の前歴に育てられたものでしょう。いや、生れ付きかもしれませぬ。