岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第5回>|月刊浅草ウェブ

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○出世欲

石川啄木に「ひとがみなわれよりえらく見える日よ、花を買い来て妻と楽しむ」(ウロ党え)という意味の歌があります。私も、新聞や雑誌を見ながら、芸界に限って見ても、何というたくさんの芸人芸術家が活発に仕事をしていることよ、それに較べてと自分の貧弱さにわれながら愛想が尽き世の中から引退したくなることがあります。あとで考え直してみると、そんなふうに僻(ひが) むのも出世欲の裏返しで、1つの欲求不満。若い啄木は野心に燃えていたであろうし、老齢の私にも野心の燃え残りが燻(くす)ぶっていないとも限らない。浅ましいというべきか、人間本能というべきか、です。

>次ページ「夫婦といっても個人の結び付きですから個性尊重の世の中ではいろいろイザコザが起りやすいでしょう!」

○ひとり暮し

路地のひとり暮しを、簡素で自由で「羨ましいよ」といってくれる友人もいる。冗談じゃないと痛感します。「洗う」こと1つにしてでも食器の布巾、お膳布巾、洗面手ぬぐい、便所の手ぬぐい、いちいち小まめに洗濯せねばならない。一事が万事。その覚悟がありますか。それよりも、朝から仕事に没頭する。やがて「あなたゴハンですよ」食後また仕事専念。極楽ですね。どなたも家庭生活、大事にして下さい。

○夫婦

夫婦といっても個人の結び付きですから個性尊重の世の中ではいろいろイザコザが起りやすいでしょう。
倦怠期なんていいますね。もしあなたがそれを感じているならば、と、老芸人の私が教訓を垂れる思い上りはありませんが素晴らしくよく効(き)くクスリではないレコードをおすすめします。そのレコードをよく聴(き)くことです。私は聴きながら夫婦愛の美しさに泣きました。何度聴いてもそのつど涙が流れるのです。全日自労建設一般労働組合の、いわゆるオバサンと呼ぶにふさわしい人たちの「独特な音声、力づよい生命力を持つ高齢合唱団のうたごえ」で「世なおし音頭」「明治女の心意気」などたくさんの曲の中でこの場合特に取り上げたいのが「あんたと共に」(市川小士詞、林学曲、合唱団サボテン) です。

♩あんたと暮らして30年、(一部省略)泣いて別れも考えた、つらい仕打ちを恨んだが、あんたのひたいにきざまれた、苦労の深さを見つめて、これから寄り添える、2人の人生を今日も夢見てる(以下略)

聴きながら嗚咽(おえつ)するのです。生まれ代ったらこんな夫婦でありたいと思ったり新婚のお祝いにこれを捧げたいとも思っている。とりあえずそのカセットテープ「あんたと共に」(LPレコードもある)をおすすめしたい。あなたの仕合せのために、大きな自信をもってー。

○噛み猫

ナメ猫というのが大流行でしたが、この頃はどうかナ。郵便局へ行くのに近いので路地を通り抜ける。荷風先生「墨東綺譚」の私娼街玉の井じゃないけれど「ぬけられます」その路地にきれいな立派な猫が、いつも紐でくくられ、通りみちで日向ぼっこしている。この間アタマを撫でてやったら喜んで仰向になったのでおナカをさすってやる、いよいよ喜ぶ如で仰向いたまま手足を踊らせていたのが一瞬イキナリ私の手に食らい付き四つ足で腕にシガミ付く、びっくり仰天の私の親ゆびの付け根からドクドクと血が流れ出す、腕には幾つもの爪あとから血が滲み出す、喜びの余りの昂奮か、野性の本性か、当分不自由を続けましたが親指の傷、も少し深かったらバチを持つこと出来ず、人生の大災難になり兼ねない。こんな私事を特記するのは皆さんご承知と思うけれど見知らぬ犬猫、どんなに可愛くてもうっかり手をお出しにならぬよう呉々もご用心下さいとの念願。

○吐豪筆塚

3月7日添田知道筆塚、弁天山に建つ。夫君唖蝉坊碑に隣る、この日寒風吹き荒ぶ。

【叛骨の父子の碑並び冴返る】ぶんや

高山続画伯よりたよりあり、すこし寒でしたが意気なひとときでしたーとして

【春寒の風に吹かれて知道塚】ぞく

【春寒や文弥が筆の知道塚】ぞく

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