われを見て/狂喜乱舞する犬のあり/月に2、3度は/逢いたくなるも
然し、地下鉄に乗ってわざわざ逢いに行くこともあるまい。それよりもと気が変って取り出したのが「歌をなくした日本人」という近刊の本、著者は小島美子(とみこ)さん、東大の文科や芸大を卒業して今は芸大や早大の先生です。どうしてこの本を持ち出したかというと、この中の「コテン・コテン・クラシック」という奇妙な題に惹かされて読み出した文章に、久しぶりで学生をつれて浅草へ遊びに行ったことが書いてあり、雷門のあたりにラオ屋がピーッなどと昔なつかしい音をたてていたことや、今でも玄米パンのホヤホヤのいるのも浅草だと言い、仲見世なんかそのまま歌舞伎の舞台だと喜び、町全体が下町的な人間くさい町でシブヤ・シンジュクよりよっぼど面白いという。演芸場へ入ってからの出来事も愉快だけれど、それは吹聴する余白がない。然しそれから落語も今では解説の必要な「古典」になってしまったことを論じたり、「オデッタ・義太夫・森進一」という文章では「ギター1つ抱えての語り弾き」のオデッタを聴いて「これぞ歌の原点、こりやあ黒人の義太夫だ」と感激する。ウィーン・オペラの「サロメ」を見に行って、だんだん白々しくなり何べんも眠り込み、みんながアンコールなどと叫んで拍手している時に自分も形ばかりの拍手をしながら大あくびをしてしまう。その後、有名な評論家がこのオペラを今まで見た「サロメ」の中で最高のものと絶賛しているのを読んで飛び上って驚く、そして堂々と理路整然と反駁する。
読んで成程と納得させるのです。まあ私なんか古風の寄席芸人で音楽家ではないから突込んだことは言えないけれど、ひろい読みしているうちに今の若い衆の気持や、若い衆に喜ばれる音楽のことなども分ってくるし、邦楽についても、私たちの考え及ばないことで教えられたり励まされたり反省させられる。何よりも全文分り易く、面白いのがありがたい。特に6段に分けた各章の4段、5段が「女だてら」のベランメーロ調と言いたいくらい、ざっくばらんに言いたいことを言い、それがみんな正しくそうだ々々その通りと叫びたいほどの魅力迫力。ジャズや歌謡曲、民謡、演歌、沖縄、インド、バリ島、中国と話題は実に豊富、ぜひ読んで見て下さい。
この頃のように軍事拡張や教育統制の動きがはげしくなると、「音楽などはもうどうでもということになりかねない、それどころか人類がお互いに殺しあって自滅してしまっては音楽どころではない、殺し合いの道具はみんな捨てて、世界の人々がみんな喜びの歌を歌えるようにしたいものだと、心から願うのみである」と訴えている小島美子さんのこの本は阿々大笑しながら”ほんもの”を梱むことの出来る励ましの本、慰めの本、一読をおすすめしたいと書いているうちに私の「ふさぎの虫」もどこやらヘコソコソと退散したらしい。
一門の岡本染志が届けてくれた香をたいて心を洗うこととしよう。染志が友の染之助が庭の古梅のまだ固い幾つかの蕾のついた小枝を郵送してくれたのも喜びの一つ。佗しいなどとは言うまいぞ々々。
これやこの/染志が給びし銘香を/薫(た)きてひとりの/香をことほぐ
附記~「歌をなくした日本人」音楽之友社