「沢 竜二(さわ りゅうじ)」の波乱万丈俳優記<第9回>月刊浅草ウェブ

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芸道50周年特番収録の時がまた、可笑しかった。
私はサプライズゲストとして参加したのだが、オヤジは有難うと言いつつ、やたらに“俺の後ろで”と指示を出す。センターに居さえすれば、常に自分だけが映し出されると信じて疑わないのだ(笑)。
そして極めつけが、帰り際のこの台詞!
「あのさ、俺お前にさっき有難うって言ったけど、よく考えたら、言う必要ないよな?だって、『無法松の一生』『人生劇場』『王将』…お前は全部俺の歌を芝居にして、ガッポリ稼いでるんだもん。今やっと、気づいたよ!!」
「そんなぁ…それとこれはまた、別問題でしょうが!」
芸の上では偉大な先輩だが、舞台の外ではどんな冗談も言い合える。そういう大きさ、人間的な魅力を、私はとても尊敬するようになっていた。

そんなオヤジとの別れは、何とも切ないものだった。
晩年、糖尿病が悪化し、両足を切断。隠遁生活を送っていた大阪に連絡を取ると、会いたいと言ってくれたので、私はすぐさま飛んで行った。しかし最寄り駅の宿からあらためて電話を入れると今度は一転、やっぱり来ないでくれと、涙ながらに訴えるではないか。
「車椅子に移るにも30分かかる始末だ。こんな姿を、俺に憧れてくれたお前にだけは、どうしても見せたくない!」
「…分かった。でもオヤジ、せめて生きられるだけ、生きててくれよ!そしたらいつか、何かの形で歩けるようになるかも知れない。絶対に希望だけは、捨てないでな‼」
最後はもう、お互い号泣のまま、電話を切った。
訃報が伝えられたのは、それから約半年後のこと…。

「いつか村田のオヤジが亡き人になった時には俺、あんたを“オヤジ”って呼ぶことにするからね。」
私が長年こう言い続けてきたのが、北島三郎。年齢こそ私より一つ下だが、やはりオヤジと呼ぶに相応しい、尊敬に値する人物だ。次回はその〈サブちゃん〉とのエピソードを、たっぷり楽しんで頂こう!

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