昭和59年、私は映画『瀬戸内少年野球団』(篠田正浩監督)で、岩下志麻、夏目雅子、渡辺謙らと共演し、ロケ地の小豆島では、楽しい日々を過ごしていた。私は志麻ちゃんの亭主役だったのだが、彼女は大変熱心な人で、毎日のように打ち合わせに来てくれた。そこで練ったアイディアを志麻ちゃんのご主人の監督に二人して何度も提案するうち、次第に私への評価と信頼も上がっていったようで、とてもありがたかった。
ある時、ベンチで私が志麻ちゃんを抱きかかえながら喋るシーンを撮っていると、雲が太陽にかかり、そのままの姿勢で〈晴れ待ち〉に入った。こりゃ役得だなぁ、と内心ウキウキした(笑)。
しかし、一向に雲は切れない。太陽を待つこと実に、20分!いくらいい女でも、重いものは重い!終いにゃ両手が痺れ、笑顔もひきつり…嬉しさ半分、つらさ半分の体験だった(笑)。
今ではハリウッド俳優の渡辺謙も、当時は映画初出演の新人。しかし、最初から光るものがあった。
ロケ期間中は、小豆島に2軒しかないスナックを毎晩連れ歩き、撮影の時も遠慮なくやれる仲になっていた。
特に思い出深いのは、水を張ったドラム缶に私が謙の頭を浸ける喧嘩シーン。
「冷たいか!この若造が、冷たいか!!」そこで私にも水がかかったので、「冷たいか!私も冷たい!!」
何度やってもOKが出ないので、さすがにおかしいと思い、
「監督、まだダメなの?!」
すると監督、あっさり、
「OK!ごめん、ごめん。二人の掛け合いがあまりに面白くてつい見入って、OK出しそびれていたんだ。ごめんごめん(笑)。」
撮影も後半に入ったある日、新たに女優が参加するというので、私も含め、その日撮休だった俳優陣が出迎えた。すると、そこに現れたのはなんと、ちあきなおみではないか!
「うわ~、久しぶり‼お前、役者になったの?!」
と約15年ぶりの再会を喜び合った。・・・しかし、心から嬉しい反面、思いもよらぬ感情が沸き起こったことに、愕然とした。
〝ちあきのほうが、俺より看板(名前)が上にくるのだろうか?〟
どんなに仲が良かったとしても、現場で会ったからには俳優同志。以前、清川虹子さんも言っていたが、こんな時、押し留める術もなくこみ上げる対抗心は、役者の哀しき性なのだろう。
こうして様々な思いの内に撮影を終えた。
『瀬戸内少年野球団』は公開と同時に大評判となり、私も日本アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたが、『旅芝居行進曲』(共演:古尾谷雅人、阿木燿子、川島なお美)と同様、助演男優賞を逃している。
歌といい芝居といい、一番美味しいところをスッと横からさらわれる…というのが、どうも私の人生のようだ(笑)。そんなこんなで、逆境に強い男になったのだろう。
しかし、近頃、こうも思う。人間、そうやって何やかやと悔しがったり、憎まれ口を叩いている間は、まだまだイケるんじゃないかと(笑)。歳を重ねれば自然に、過去を許す境地に至るものだが、仏心が過ぎては、本当にホトケになりかねない(笑)!このコロナ禍に際し、多くの友人たちが身体を心配し、声を掛けてくれるのは本当に有り難いと感謝しているが、彼らを安心させるためにも、私はずっとヤンチャでいるつもりだ(笑)!
ここまで、芸能界の父・母と慕う方、純粋に友達と呼べる人…と、様々な仲間の話をしてきたが、次回は少し角度を変えて、親代わりでも、友達でもない、けれど多くの学びを与えてくれた尊敬する同志である世界的舞台演出家・蜷川幸雄と、西岡徳馬、勝村政信、藤原竜也ら、蜷川組の仲間達の話をしようと思う。
旬な俳優陣のエピソード、どうぞお楽しみに…!
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