「我々は故(ゆえ)あって、徳川家へ味方する者。軍用金にこと欠いておる。身ぐるみ脱いで置いていけ」不穏な空気漂う幕末、蔵前の榧寺(かやでら)へさしかかった駕籠を追いはぎの一団が襲う、落語『蔵前駕籠』。
だが、ここから吉原まで一本道だ。何としても廓へ行きたい駕籠の客も覚悟の前で、駕籠かきに酒手(心づけ)をはずみ、脱いだ着物を座布団の下に敷いて乗り込むというまさに〝女郎買いの決死隊〟。そうとは知らない追いはぎが駕籠の中で腕組みする裸の男をみて「もうすんだか」。
都営地下鉄蔵前駅近くの榧寺には昔、その名のとおり榧の大木があった。そこへ山伏に姿を変えた秋葉大権現が現れて住職と碁を囲み、勝って榧を遠江(静岡県)の秋葉神社へ移してしまう。やがて榧には多くの実がなり、再び訪れた山伏が正体を明かして寺を火災から守ると約束、さらに当地が栄えると予言した。そして、江戸時代となったこの地には幕府の御米蔵が並び、徳川家康の葬儀を執り行った観智国司を第一世として、浄土宗の立派な寺が建てられた。
さて時は流れて平成になり、榧寺から近い所にベテランのコメディアンが居を構えた。元ナンセンストリオのマイダーリンこと、前田隣さんだ。1960~70年代、てんぷくトリオ、トリオ・スカイライン、トリオ・ザ・パンチ等とトリオブームの中核となり、一人で活動するようになってからも往年のギャグは健在だった。「親亀の背中に子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて、孫亀の背中にひ孫亀乗せて、親亀こけたら子亀、孫亀、ひぃ孫亀こけた」の「亀」を、観客のリクエストに応じてほかの動物で歌う。パンダでも蚊でも(蚊は案外歌いやすい)軽快に、苦労するのはシロナガスクジラとかシェットランドシープドッグといった犬種だが、最後はみごとに決めた。忍者姿で、紅白の旗を持たせた人に「赤上げて、白下げて、赤上げないで……」と指示、間違えるとピコピコハンマーが飛ぶ「旗上げ」もお馴染み。また「俺こそリリオム」「モンパパ」「スーベニール(想い出)」等々、敬愛する榎本健一ナンバーは声帯模写の白山雅一さんも太鼓判。東洋館、上野広小路亭などで聴いた大らかな歌声が心に残る。時には着物姿で落語も一席。『干物箱』『替り目』など味のある、大人の語り口だった。
そして、雑誌の取材でよくお話を聞いた1999年頃は〝世間話〟がレパートリーの一つだった。「何でもないことでも、ボクの中を通り抜けたらすごく面白くなる。町内に一人はいるオジサンのようにね。だから、今やっているのは〝世間話師〟なのかなと思うんです」(談)。
2009年2月19日永眠、享年72。通夜の枕元には前田さん(こう呼ばせていただいていた)ごひいきの、浅草の喫茶店のマスターが自ら届けたコーヒーが……。ここで筆を置くのは寂しいので、最後に奥さんから聞いた闘病中のひとコマを。「おとうさん、ココア飲む?」「ココア(ここは)お国を何百里」前田さん、今でも笑わせていただいてます。
(写真/文:袴田京二)
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