浅草沢正伝【忠治篇】<第14回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ

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忠治「鉄—。」
巖鉄「へい。」
忠治「定八。」
定八「なんです。親分。」
忠治「赤城の山も今夜を限り。生れ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」
定八「そう云ゃなんだか嫌に寂しい気がしやすぜ。」
ト、雁の声
巖鉄 「あゝ、雁が鳴いて南の空へ飛んで往(い)かぁ。」
忠治「月も西山に傾くようだ。」
定八「俺ぁ明日ぁどっちへ行こう。」
忠治「心の向くまま、足の向くまま、当ても果てしもねえ旅へ立つのだ。」

新国劇の名舞台、行友李風作『極付國定忠治』より「赤城天神山不動の森」。天保年間、飢饉と圧政に苦しむ民を救うため代官を斬って米蔵を開き赤城山に立てこもっていた国定一家が山を下り、それぞれ旅へ出る決意をする。その幕切れ、日光の円蔵が吹く笛の音を背景に国定忠治、清水の巖鉄、高山の定八が故郷への思いをつのらせる。

新国劇創立者・澤田正二郎の国定忠治(写真提供:若獅子会)

浅草公園通り「沢正」の主人、平野泰之さんはこの場面のテープを自作し、実演していた。ドドン! ドンドンと山おろしの太鼓と析(き)の音が響いて幕が開き、掛け合いの間(ま)を計って入る巖鉄、定八のせりふを一人でこなす。この音源に合わせて、忠治の芝居がぷ圧で始まる。やがて愛刀(舞台用。自前の忠治仕様)を抜き、鍔(つば)鳴りの音とともに「加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に清めて、俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ」と、そこへ柝が入って幕—。

気迫のこもった〝山の場〟が終わると「ご苦労さん。まあ一杯いこう」と、お客が差し出すビールを受けるのだが、実はまだ芝居が終わっていない。「(グラスに注ぎながら)手めえに盃やるんじゃねえ。毒見させるんだ」「こりゃ御念の入りましたことで。(卜、呑む)決して御心配はいりません」。場面かわって旅の途上、忠治が二足の草畦を履いて悪事を働く山形屋藤造をこらしめる「信州権堂山形屋店先」の一場面で、これもよく見かけるやり取りだった。
あとは平野さんを交えて芝居談議が始まる。山の場は無人の舞台で始まり、木立の中から喧嘩支度の子分たちが次々と出て来ること。舞台に折れ曲がった山道を造り、その上から忠治が登場するなど劇団の創立者、澤田正二郎の初演以来さまざまな工夫が重ねられたこと。円蔵は野村清一郎、藤造は石山健二郎の持ち役など、往年の名優と配役……。それは多くのことに気づき、教えていただいた貴重な時間だった。
「ご馳走様、そろそろ帰ります」と、席を立つ人がいれば「もうお帰りでございますか。して、今夜のお泊りは」「野に寝るか山に寝るか、行き当りバッタと共に草枕よ」「お静かにいらっしゃいまし」と、これも芝居のアレンジだ。表へ出たお客が引き戸を閉めれば、誰かが「野郎、どっちへ行った!」「上州街道を真っ直ぐに行きました」「幸い空も雨模様、半郷の松並木に腕利きの人数ふせて、野郎、上げっちまおう……、山形屋(の場)だよ。ハハハ!」。その後も忠治が電光石火の速さで山形屋一家を斬り伏せる「小松原」の迫力、忠治を生涯演じた辰巳柳太郎の魅力や、その直弟子で財産演目を受け継ぐ笠原章への期待など、汲めども尽きぬ話が続く〝新国劇ファンの酒処〟だった。

(写真/文:袴田京二)

※掲載写真の無断使用を固く禁じます。

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