「煩悩の裏は菩薩の大音寺」と古川柳に詠まれた浄土宗の古刹、正覚山大音寺は国際通り沿いの台東区竜泉1丁目にある。通りの向かいには、毎年酉の市で賑わう鷲(おおとり)神社。その背後に、かつて広がっていたのが〝煩悩〟の地、吉原遊郭だ。樋口一葉作「たけくらべ」の冒頭にも「大音寺」と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町・・・」と、その名が登場する。隅田川寄りの大門(おおもん)を出入口とした廓からすれば、大音寺は裏手に位置する。
このお寺の門前で、二人の女性の執念が文字通り火花を散らすのが落語『悋気(りんき)の火の玉』だ。悋気とは「やきもち」のこと。浅草花川戸の鼻緒問屋、立花屋の旦那が仲間の寄り合いをきっかけに吉原通いを始めるが「算盤(そろばん)が合わない」(費用がかさむ)と花魁を身請けし、根岸に妾宅を構える。それを知った女房は日増しに機嫌が悪くなり「お茶をいれとくれ」といえば「私がいれたんじゃうまくないでしょ、ふん」と、夫婦仲が険悪になっていく。
旦那は根岸で過ごす日が多くなり、本宅では藁人形に五寸釘を打ち付け始める。これを知った妾宅は六寸釘、ならばと本宅は七寸釘・・・と呪いの競い合いになり、ついに二人とも死んでしまった。それぞれ葬儀を出した旦那だったが本宅の蔵のわきから、また時を同じくして根岸でも火の玉が出て大音寺でぶつかり、夜ごと火花を散らす・・・。このままでは商売に影響すると、和尚(親戚の僧侶とすることもある)を頼んで出かけた旦那の前に、まず根岸から火の玉が飛んできた。その火を借り、煙管で一服しながらなだめているところへ本妻の方も到着。もう一服つけて説得しようと声をかけると、スーッとそれて「私のじゃうまくないでしょ、ふん!」
怪談というより実に大らかで、『悋気の火の玉』という名がいかにも落語らしい。いざ大音寺へと向かう前に旦那と和尚は碁を囲んでいるし、そもそも火の玉で煙管に火をつける発想が大胆だ。8代目桂文楽の音源を聴くと「焼きもちは程よく焼く、これを悋気(臨機)応変といいまして」と語っていた。
また〝吸いつけ煙草〟といえば「煙管の雨が降るようだ」の名ぜりふでお馴染み、歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜』の花川戸助六を思い出す。所も同じ花川戸の旦那が吉原通いというのは落語の作者、あるいは演者の趣向かもしれない。
花川戸では古くから発達した隅田川の水運により、下駄や草履関連の材料が豊富に届いた。さらに北側にある猿若町で中村座、市村座、河原崎座(のちに森田座)の三座が栄えたことで芝居関係者からの需要も多かったと考えられる。そうした経緯から履物問屋街が形成され、職人も居を構えた伝統が今も受け継がれている。
立花屋の旦那も、きっと羽振りが良かったのだろう。ただ大音寺までの距離は、根岸より花川戸の方が明らかに遠い。8代目文楽師は本宅からの火の玉をブーンと威勢よく飛ばし「3べん回ってピタリ」としており、それほど本妻の念が強かったのかもしれない。
(文/写真:袴田京二)
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