今浅草のお客と云えば、下町のお客より東武、京成沿線のお客が多くなった。だからこの私鉄2社がストでもやろうものなら、浅草はみじめなものだ。実に閑散としている。全くこれが世に云う浅草かと思うほどだ。昔の人が淋しがるのも無理はない。昔はまだストも無かったけど、毎日毎日大変な人だった。だからスリも商売になったろうが、今じゃスリの方がお手上げだ。従って客層も変わって来た。場内は東武、京成沿線のお客に老人が多くなってきた、この御老人だが、大変芝居熱心に御覧下さるのはありがたいことだが、登場人物に対しての観方が真剣になり過ぎて、デン助を、いじめるとでも云うか、暴言を吐く者が出ると、これは悪い奴だと思い込んで、その役者が外を歩いていてもこれは悪い奴だと思い込んでいる。ところがどうしてどうして悪役を演る者こそ実は善人で、楽屋ではお互いに、今日は昼飯何んにすると云った具合で和気藹々にやっているのだから御心配なく。
また楽屋と云えば、お素人の人は大変楽屋を見たがるものだ。ファンの人が楽屋を訪れて来た時などは、どちらを向いてもおじぎばかりしている。そのくらいに楽屋と、舞台とは、かけ離れたところだ。
楽屋とは、字のごとく座員が共に楽しむところでもあり、また舞台上の事で叱られるところでもある。この楽屋は、舞台のお芝居が出来上がる工場のようなところである。笑うのも楽屋、泣くのも楽屋、舞台の華やかさとはあまりにも縁の遠いところでもある。
楽屋と云えばこんな話もある。これは稽古の日だった。楽屋で読み合わせと云って、台本を手に皆で台詞を云い合っていた。ところがこの台詞が私が怒って怒鳴りちらしているところだった。そこへどうしても私が逢わなければならない人なのに、その怒っている台詞を聞いて、「オー今日は先生、機嫌が悪いなー・・・これは下手に逢って叱られるよりは・・・」と帰って行ってしまった。ところが明日は初日を控えてこちらはその人を待っていたがトウトウ顔を見せず、翌日やって来て今度は本当に叱られた。そしたら帰りに座員にこぼしていたそうだ。お宅の先生の気の短いことは知ってはいたが、昨日から今日まで怒っているとは思わなかったと・・・。冗談じゃない、人間そんなに永く怒っていたらくたびれちゃっていけないや。
またこれも、楽屋ならではと云う話で、近頃は無くなったが昔は楽屋へ遊び人のような用もないのに楽屋へ入って来て大きな事ばかり云っている本当に無用の者が多かった。その頃私は脚本に追われている時は楽屋でも本を書くことがシバシバだった。こんな時楽屋の入り口に『脚本執筆中面会謝絶』の看板を出して置くのに、入って来る奴が居る。弟子が「只今面会謝絶ですから」と断ると「イヤー俺は良いんだ、俺は良く知っているんだから」と云って入って来て一くさり喋って帰って行く。実はその人のための看板だったのである。そして大事なお客が遠慮して帰って行ってしまった事もあった。これもやはり浅草の楽屋風景の一駒であったのだろう。何んにしても昔の浅草の再現を望む。「起て浅草」!!
<デン助劇団・大宮敏光>