七段目の「お軽」を扱った小唄をひとつ。 〽吊灯篭の明かりに照らし、読む長文を二階から、余所の恋よと延鏡、かざすはずみに顔と顔間男があるなら添わしてやろうせめて三日と手を取って、九ツ梯子かるがると身請けされる […]
続きを読む絹川正巳|猿若三座
猿若三座〈第5回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
安政6年、市村座での『十六夜清心(いざよいせいしん)』の十六夜と清心の道行に用いられた清元『梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)』で好評を博してから、黙阿弥は四世清元延寿太夫の美声に惚れ込んで提携がはじまり、明治はじめ […]
続きを読む猿若三座〈第4回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
劇界の凶年とされる明治10年も秋となり、これからは世の中の景気も立ち直り、芝居は不況を乗り越え、いよいよ繁盛すると皆が喜びはじめたが、10月になって総師格であった五世坂東彦三郎が大阪において46歳の役者盛りで没した。 彦 […]
続きを読む猿若三座〈第3回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
拍子木のことを略して〈木〉または〈析〉(読み:き)という。 開幕の鳴り物に合わせて木をチョンチョンと次第に早めにきざんで幕があいていく。 開幕の時も、幕切れの木頭(きがしら)を主演者のイキに合わせ、舞台の効果をこわさぬよ […]
続きを読む猿若三座〈第2回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
明治10年11月、新富座の「黄門記童幼講釈」から、團十郎、菊五郎、左團次、半四郎に、宗十郎、仲蔵といった名優揃いの顔ぶれがきまって、いわゆる新富座時代、芝居といえば新富座一つのような全盛・黄金期を現出せしめた。 それは、 […]
続きを読む猿若三座〈第1回〉絹川正巳|月刊浅草ウェブ
封建制度から近代的な文明開化に移行した歴史上きわめて重要な明治維新前後の史実を取材した作品は多い。 それらを総称して「明治維新物」と呼んでいる。広義には散切物や、明治8年9月、大阪の芝居で初演され大阪で流行した「早教訓開 […]
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