冒頭から私事で申し訳ないが、私(=こやた)は緊張症である。私は10歳から舞台に立つ活弁士だが、未だに本番前は緊張で全身が震える。今回インタビューを申し込んだ若き浪曲師・国本はる乃さんに、次のような質問を投げかけてみた。
「どうしたら緊張しないで舞台に立てるの?」(こやた)
答えは、即座に返ってきた。
「緊張するのは、稽古不足です」(はる乃)
あまりにシンプルで、あまりに気持ちがいい言葉に、私の心は思わず歓喜した。「参りました」と、心底思った。
はる乃さんとお話をするのは今回が初めてだった。会ってみると、物事を率直に話すさっぱりとした、それでいて愛嬌たっぷりな女性だった。ボケとツッコミで言ったら、ツッコミだろうか。鋭い切れ味の返答が次から次へと返ってくる。しかもその返答たるや、名言ばかり。第一印象は、武士みたいな子だなと思った。今回紹介するのは、そんな26歳の浪曲武士、国本はる乃である。
はる乃さんは、9歳の時に浪曲師・国本晴美師匠に入門。学校生活の傍ら、週末を利用して舞台に立った。18歳の時に本格的に浪曲師として生きていくことを決意し、プロとなる。
浪曲は、三味線を伴奏にして、語りと歌(節)を織り交ぜながら物語を語っていく日本の演芸である。これから浪曲を知る人は、「1人ミュージカル」と言ったら、少しはイメージしやすいかもしれない。浪曲の強みは歌の部分があることである。物語の合間に挿入されるメロディアスな歌の部分が、聴衆の感情を大きく揺さぶってゆく。たとえ難しいことは分からなくても、歌は悠々と言語を超えていく。浪曲を聴きながら、観客は人情の機微に触れ、生きるエネルギーをもらうのである。
親の勧めで浪曲を始めたものの、最初は浪曲が嫌いだったというはる乃さん。そもそも言葉が分からないし、節回しも難しく、何度やっても正解が分からない。しかし、イヤイヤながら師匠の元へ通っているうちに、どんどん浪曲の世界にのめり込んでいった。特に古典作品に強く惹かれ、古典だけを上演していきたいとすら思っていた。だが、古典作品を読み漁る中で、復活させなくてもいい古典もあると感じた。観客は現代を生きている。目の前のお客さんの心に寄り添う浪曲という芸能を模索する中で、新作を上演することに対して興味・意欲を持ちはじめた。
2022年1月19日、お江戸日本橋亭で「国本はる乃独宴会」が行われた。独演会自体は初めてではないが、自ら主催し、会場手配からチラシ作成、チケット販売まで全て担うことは初めてだった。この時の演目は、ネタおろし演目「牛若と弁慶」と、新作「美しき罪」。双方とも、はる乃さんにとって初演だった。
舞台が開き、凛とした若き浪曲師の体全身から、真っ直ぐ客席に向かって「声」が放たれる。彼女の大きな口から放つ声のパワーに、観客はたちまちにして引き込まれていく。竹を割ったような声とは彼女のような声のことを言うのだろう。芸の道を生きていればいろんなことがあるに違いないのに、彼女は擦れることなく、常に正面を向いているように見える。
彼女がこれからめざす先には何があるのか。取材の中では、将来のことはまだ分からないと述べていた。まずは師匠を目指すというところか。
はる乃さんの師匠は、若くして亡くなった天才浪曲師・国本武春師匠のお母様である。最後に、「晴美師匠と比べて、自分には何が足りないと思う?」と聞いてみたら、彼女は「全部ですね」と答えた。年の甲から滲み出る風格・品格は、そう簡単には身につけられないのだと言う。そして、晴美師匠の人柄についても、嬉しそうに語ってくれた。「人柄がとにかく素晴らしくて、いつも晴美師匠の周りには人が溢れているんです」と、この日一番の笑顔がこぼれた。
芸能の楽しみ方は、舞台を見るだけでなく、芸人の生き様をも見守ることだとつくづく思う。1回だけ見て、聴いて、終わりではない。芸人は生身の人間なのだから、その成長が面白い。若き浪曲師・国本はる乃は、これからどういう道を切り拓いていくのか。楽しみでしょうがない。
(令和4年2月号掲載)
国本はる乃オフィシャルホームページ
https://harunotakeharudo.com
ツイッター「国本はる乃」
https://twitter.com/haruno119?s=21
YouTube「TAKEHARUDO Channel」
https://youtube.com/channel/UCQOaeNSB8FOTxOjmj1vBOhA
【筆者紹介】
活弁士・麻生子八咫(あそうこやた):父麻生八咫に弟子入りし、10歳の時に浅草木馬亭で活弁士としてデビュー。
活弁は、サイレント映画に語りをつけるライブパフォーマンスです。どうぞよろしくお願いします。
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