急に予定が変更になり、自分が美容室に長いこと行っていないことに気がついたが、あいにく祝日で、どこの美容室も予約でいっぱいだった。偶然ポカっと空いていた台東区蔵前の美容室を予約して、少し早く着くことができたので周囲を散策することにした。
ふと、通りかかったオシャレ空間におもわず足が止まる。店内から優しそうな女性店員さんが出てきて、ここは一年後の自分に手紙が書けるカフェだと言う。
一年後の自分に手紙を…?
「封灯」と名付けられたお店の看板には「一年後に手紙が送れる詩的喫茶」と書かれている。「喫茶」と書いてあるのだから、少なくともコーヒーは飲めるのだろうと思い、入ってみることにした。
壁一面にズラリと並んでいる封筒は、お客様が一年後の自分に宛てて書いた手紙の数々だという。封筒の置かれている棚は、1月1日〜12月31日の日付順になっており、それぞれ一年後の発送される時を待っている。店内にはレコードの音楽が流れ、お伽話の中の世界に迷い込んだかのように、ゆったりとした時間が流れていた。そういえば、久しく心からリラックスした気持ちになっていないことに気がつく。日々の忙しさから時間の感覚を失っていた私が、「時間」の存在(手触りのようなもの)を感じることができた。
私が着席したすぐ後に、予約をしているお客さんたちが次々と来店してきた。お一人でいらっしゃるご婦人、若いカップル、女の子の友達同士、ご年配夫婦…さまざまな人たちが、思い思いに一年後の自分に宛てて手紙を書く。机の上には、ペンや色鉛筆が置かれていて、それらは自由に使っていい。
一年後の自分に手紙を書く「レターセット(コーヒー・スイーツ付き)」のほかに、店員さんがお客様に合わせた詩を選んでくれる「A Cup Of Letter」(一杯の手紙)というメニューがあり、私は時間の都合でそちらを注文した。詩は、お店のオーナーであり詩人の小山さんが書いたものから選んでくれるそうだ。人に詩を選んでもらうなんて、生まれて初めての経験である。ドキドキワクワクしながら待つ時間も楽しい。他のお客さんが書いている「自分」へ宛てた手紙を覗き込みたい気持ちを抑えながらコーヒーと詩を待っている間、「私だったら一年後の自分に何を書くのだろう」と想いを馳せる。
ふと、自分のことを思い返す。10代の頃は手紙を書くのが好きだった。活弁士として地方公演も多かったから、全国各地にできた友達に手紙を書くことが楽しかった。大分県のおばあちゃんに頻繁に手紙を出していた時期もある。しかし、いつの頃からか、書かなくなってしまった。パソコンやスマートフォンを使用する機会が増えたからだろうか。
ちょうどオーナーさんがいらっしゃったので、なぜこのような喫茶をオープンさせたのか聞いてみた。「はじめたきっかけは、自分が一年後の自分に手紙を書きたかったからなんです。今を見つめ、一年後の自分に手紙を書くことで、未来が少し明るい灯に変わるかもしれない。そんな願いを込めて「封灯」と名付けました」という。
「手書きで書(描)くこと」についてのこだわりなどありますか?と聞いたら、「手書きの方が予想外…」という言葉が返ってきた。一言一言が、詩的で、小山さんの身体感覚から紡ぎ出されてくる。スマホなどで打ち込む方が論理的で、手書きの方が何が起こるかわからない。なるほど、言われてみればそんな気もする。
お客さんが自由に手に取れる小さな本棚もあり、オーナーが選んだ本たちが並んでいる。『コーヒーが廻り、世界史が廻る』『花の歴史』『絵から生まれた17の物語 短編画廊』…、興味を惹かれる本ばかりで退屈しない。しかし、楽しい時間はあっという間で、美容室の予約時間が迫ってくる。
近々、一年後の自分に手紙を書きに来よう。届いたときに、思わず笑ってしまうような、自分へのエンターテイメントのような手紙を書きたいが、手書きは予想外だそうだから、何が起こるかわからない。まさに冒険。お店を出た時、世界が以前よりも少しだけ優しく、変わって見えた。