「強い力士を創る前に、立派な人間を育てたい」
そんな強い信念を持つ相撲部屋がある。現在、浅草唯一の相撲部屋として活動する西岩部屋である。西岩部屋の親方は、元大相撲力士の「若の里」で、現役時代は正々堂々力強い相撲を取る力士として人気を博した。今回ご紹介するのは、元々お相撲とは縁のない一般家庭で育ちながらも、日本を代表するお相撲さんの元へ嫁いだ女将さん・古川彩さんである。
彩さんは、大阪府に生まれ、中学からは京都府で育った。「自分にはできないことや、自分が知らないことを頑張っている人を応援したい」と、高校3年間はラグビー部のマネージャーとして部員を支えた。高校卒業後は、体育の専門学校に進学し、本格的にマネジメントを学んだ。スポーツキャスターやラジオパーソナリティーになりたいと考えていたからだ。振り返ってみると、この時の学びは今にとても役立っているという。
彩さんと西岩親方(当時若の里)は、職場の知人との食事会で出会った。ほとんど初めて見るお相撲さんという存在に「わあ・・・」と圧倒され、大きなぬいぐるみが近くにあるような存在感だった。当時、彩さんは相撲について何も知らなかった。自己紹介で「…関脇です。」と言ったから、「関脇さんって、変わった苗字だな」と思った。「テレビに出るんですか?」と聞いてみたら、親方は「三月場所が始まったらNHKに出ます。17時半くらいに出ます」と答えた。「14時〜15時くらいだったら良かったですね」と言ってしまったが、後から聞いたら早い時間に出るのは幕下で、17時半に出るということは、当時の親方にとって自慢なことだったらしい。親方はなんとも言えない複雑な表情をしていた。
結婚後は、想像以上の厳しい女将さん修行があった。当時親方が所属していた相撲部屋の女将さんにご挨拶へ行った時、まずスーツで行ったことを怒られた。和装の訪問着で行かねばならなかった。服装、座り方、扉の開け閉め、すべてに作法があり、涙が溢れる日も少なくなかった。当時25歳。無理もなかった。ご両親もとても心配してくれたが、彩さんは諦めなかった。親方がいつも「大丈夫だよ」と言ってくれたのも支えになったのかもしれない。
親方に、将来どうなりたいのか、何をしたいのかと聞いたら、「自分の相撲部屋を開きたい。即戦力になる強い力士をかき集めてくるんじゃなくて、真っさらな15歳を連れてきて一から育てたい。強い力士を創る前に、立派な人間を育てたいんだ」と答えた。この言葉に、彩さんも覚悟を決めた。親方の目標が、自分の目標になった。相撲素人でも、一から力士を育てるのは時間と労力がかかることは分かる。親方と相談して、10年計画で弟子を育てることを決めた。女将さんに必要な技能は何かと考えた時に、まず思い浮かんだのが料理だった。弟子たちの健康管理は不可欠だ。「よし、調理師免許を取ろう」と決意した。だが、専門学校へ行かずに調理師免許を取得するには、ただ独学で勉強すればいいわけではない。調理師免許の試験を受ける資格を得るために、週4日勤務で2年間飲食店で働き、調理の実務経験を積んだ。その後調理師試験を受けて合格し、見事免許を取得した。
懸命に頑張っていれば認めてくれる人もいるが、そうでない人もいる。お相撲は良くも悪くも伝統を重んじる世界だ。立派な「若の里」の妻たる者は、立派な妻であることが求められた。学歴を問われることもしばしばだった。彩さん自身は専門学校を恥じているわけでも、後悔しているわけでもないが、もしかしたら親方に恥をかかせていることがあるのかもしれないと不安になることはあった。自分が親方の隣に自信を持って立つことができるように、と近畿大学の通信コースで、法律を学んだ。なぜ法学部を選んだのかというと、これから中学校を卒業したばかりの未成年の男の子たちを預かるのだから少年法は学んでおかなくてはならないと思ったからだ。
相撲の世界は、きっととても厳しい。一回の取材では計り知れない。少なくとも私がお話をする中で感じたことは、彩さんは等身大で自分を見つめ、自分の頭で考えて、全体の様子を見ながら行動し、そして何よりも天性の空間を和らげる力があるということだ。取材中、西岩親方も何度か顔を出してくれたので聞いてみたら、「出会った時にこの人と結婚すると直感した」という。彩さんを結婚相手として見初めた親方の眼力もすごい。
次号では、彩さんの女将さんとしての工夫や、実際の相撲部屋の様子、浅草との関わりについて深掘り
する。どうぞお楽しみに。
西岩部屋 公式ウェブサイト (nishiiwabeya.com)
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【筆者紹介】
活弁士・麻生子八咫(あそうこやた):父麻生八咫に弟子入りし、10歳の時に浅草木馬亭で活弁士としてデビュー。
活弁は、サイレント映画に語りをつけるライブパフォーマンスです。どうぞよろしくお願いします。
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