「オペラ座の怪人」つれづれの記<第4回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草ウェブ

昭和12年秋、山高帽にフロックコート、雨も降らぬのに蝙蝠傘を手にした黒づくめの怪人がオペラ館の前に立った。
〈交番の傍に在るオペラ館に這入った。演劇とレヴューとが交る二幕づつ演じられる。わたしは初め何の考えもなく、即ち何の期待もなく這入って見たのであるが、演劇を見て非常に感服した。之を譬へたならば京伝の黄表紙、南畝の洒落本をよむ興味に似てぬるらしく思はれる。「浅草の歌」・「むすめこゝろ」・「男の泣く時」・「課長さんはお人好し」のやうなものを昭和現代の洒落本と見なすであらう。〉
6月朝日新聞夕刊に〈濹東綺譚〉の連載を終えたばかりの永井荷風である。近代的な大劇場と異なる小屋に興味を示し、10日目毎に替るシミキンらの洒落た一幕物を楽しんだ。
その感動は翌13年オペラ館のために歌劇脚本「葛飾情話」を書き下ろし、気鋭の作曲家菅原明朗の協力で 5月17日から10日間上演された。初日から楽日まで超満員の興業となり、館主田代は感激し大作家への脚本料・上演料を申し出ると「これはあくまでも自分の道楽である」と一切受け取らず、そればかりか出演者全員に五円(現在なら数百倍)を祝儀に配った。
昭和15年ジェームス・ギャグニー風の派手な格好でオペラ館に出入りする若者がいた。久保七十二。後の深見千三郎である。父は旅一座の座長、姉は歌謡界を席捲する〝美ち奴〞。末弟を一流芸人に育てようと片岡千恵蔵に弟子入りさせたり、オペラ館で修業させたり可愛いくてしようがない。
そんな様子を荷風は《楽屋口に入ると「今日終演後ヴァラエテー第二、三景練習にかかります。」だの何だととさまざまな貼出し板壁に沿ひ、開け放しになった踊り子の大部屋。一番名の高い芸人の部屋。流行唄をうたふ声楽家の部屋。一番上へあがると男の芸人が大勢雑居している。ここではこれを青年部とて、絶えずどたばた撲り合いの喧嘩がある。》
……青年部で若造の深見が顔を効かせる妙な構図。先輩に花札賭奕で巻き上げられても芸のコヤシと涼しい顔、いつしか出番をふやしている。
コーモリ傘を背中にくくりつけ、タモリのようなアチャラカ語を連発、スピード感あふれる毒舌で爆笑を取っている。美ち奴が父を観客にまぎれ込ませると〝千ちゃん、千ちゃん〞とかけ声がかかっていた。
戦局は風雲急を告げる。大戦の暗い陰に演芸はかき消され〈一億総動員贅沢は敵!〉昭和19年新防空法が発令され、六区の木造劇場11館に閉鎖命令が下った。 3月24日館主田代は男女50人の部員を舞台に集め、オペラ館告別の辞を述べる。荷風同席《一斉に感極まり泣出せり、涙を啜りぬ。余は六十になり時偶然この別天地を発見し毎日来りしが今は還らぬ夢とはなれ。》
翌年3月10日取壊しを見さだめたかにB-29、325機が下町を空爆し、浅草六区は灰燼に帰した。幾多の夢を育んだオペラ館は35年の歴史を閉じたのである。

(田中けんじ, 2016年) 

田中憲治 デザイン事務所「レタスト」http://www.letterst.jp/profile/index.html

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