つれづれの記<第13回>田中けんじ|月刊浅草ウェブ

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泰然自若、古来より人々を魅了し、日本人の心を代弁する富士山。芙蓉峰に挑んだのが18歳の夏。黄昏時に富士吉田口から登り山小屋で仮眠。日の出に合わせて山頂をめざした。
天空が白みはじめ雲がざわめく、〝一閃〟神々しい御来光に身が引き締まる。ところが、見渡せば緑と名のつくものは存在せず、殺風景な岩の連なり、どうやら〽富士と美人は、傍に寄ったら粗(あら)だらけ……。
左の剣ケ峯(3776メートル)、右には釈迦ケ嶽。頂上のお鉢巡りは迫力充分。「八面玲瀧(はちめんれいろう)」と呼ばれる秀峰だが恐る恐る火口(220メートル)を覗き込めば、ポッカリと地獄の釜が蓋を開け〝おいでおいで!〟と人間を引き込んでくる。奈落の底を見せながら妖しくも艶めかしい絶頂の姿。
意外だったのは僅かに蒸気が立ち昇っていたこと。小学校では死火山と教えられ、いつしか休火山となり、今では宝永噴火1707)のエネルギーを再び溜め込んでいる。
外界に転じれば、雲海が払われ富士五湖が姿を現した。景観は言葉にならない。(写真参照。)一飛び3メートルから5メートル、砂走り天国は登山者へのご褒美、これでは麓が砂丘かと心配すれば、夜半に砂を吹き上げるそうな。

―昨年夏、山中湖畔に滞在、裾野巡りを楽しんだ。木洩れ日の忍野八海、伏流水に逆さ富士。河口湖の瀟酒な「カフェ・プラド」はバッハで店長を勤めた崎山さんの店。久々に会話がはずみ酸郁の香り。奥様のケーキで至福の一時になる。弟の〈アトリエ〉が山腹にあるので道筋を聞いたら「一緒に行きましょう」と忙しいのに、奥さまが車を出して下さった。

—富士に魅せられた写真家「ロッキー田中」は春夏秋冬の表情を撮っている。〈山のアトリエ〉は前線基地で、本拠は品川の「富士アートサロン」http://www.rocky-fuji.com。長年富士ゼロックスに勤務し、売上部門で三位以上に貢献、本社(赤坂)に入った。そこで定年を迎えると思ったら「会社を辞めて独立する!」ときた。富士ゼロックスの社名に問題か? 嫁も「仕事が終れば土日はおろか、盆も正月も山に籠って帰ってこない。挙句に会社を辞めると言い出して、家庭崩壊寸前、呆れて別れようと思います・・・」
まさかそこまでとは・・・「どう云うつもりだ!力ミさんが愛想尽かして別れると泣いてるぞ!」さすがにションボリしている。「兄さん、申し訳ないがこの病気は一生直りません。富士の病いです=」? 思い込んだら命懸け、猪突猛進は我が家系のDNAでもあるが・・・。
在職中特異な姿を見ていた小林陽太郎社長(故)は、独立の餞(はなむけ)に自信作を社長室に飾ってくれた。だが彼は満足しない。生涯で一枚〈ときめきの富士〉を求めて撮り続ける。
アトリエの帰りは森林浴を楽しみながら富士吉田まで散策。野鳥のさえずりフィトンチッドの森。世界遺産を肌で感じる裾野下り。

—「六根清浄」を唱えながら登山する。古くは室町末に起り江戸中期に町人や商人の間で隆盛となった富士信仰。富士吉田へのなだらかな参道には、今も「御師(おし)」の館が面影を残している。長い庭に魅せられ玄関口へ。主人から信者尊崇の歴史を聞かせて貰った。今でいう「ツアコン」の役割が富士参詣旅行を組織して、ブームにつながったのである。
北口本宮富士浅間神社。高さ18メートル日本最大の木造鳥居に庄倒される。豪華絢欄桃山様式の本殿(国指定重要文化財)荘厳な雰囲気に、信仰への思いが伝わってくる。
日本の心を再認識する裾野旅であった。

田中憲治 デザイン事務所「レタスト」http://www.letterst.jp/profile/index.html

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