東洋興業会長(浅草演芸ホール/東洋館浅草フランス座) 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第4回>「八波むと志(はっぱむとし・長門勇(ながといさむ)」
前回と前々回では、渥美清のお話をしてきましたね。彼はフランス座の2代目座長だったのですが、今回はその前後、1代目と3代目の座長の物語を。1代目は、後に『脱線トリオ』を組んでお茶の間を笑いの渦に巻き込んだ八波むと志。3代目は、テレビ時代劇『三匹の侍』の人間味溢れる演技で人気を博し、個性派俳優として大成した長門勇です。
時は昭和30年代初頭。テレビ創成期という時代背景に翻弄されながらも、日々の舞台で磨いた実力とそれぞれの強烈な個性でチャンスをものにしていった人気座長たちの底力、とくとご覧あれ…!
◆フランス座のスター第一号!エネルギッシュな初代座長・八波むと志
八波むと志は大正15年、鹿児島県生まれ。二十歳前後から役者を志し、いくつかの劇団を経て昭和26年、フランス座へ。芸風は、とにかくエネルギッシュ!舞台に立てばアドリブの嵐、セリフなどあってないようなもので、何が起こるかわからない(笑)。特に、ひょうひょうとした持ち味のベテランコメディアン・佐山俊二との掛け合いは最高でした。佐山が「あら、いやだ」というころに、八波が強烈な突込みを入れるというコントが絶妙で、この二人の「あらいやだコンビ」はいつでも人気の的でした。客席から野次が飛ぼうが、どこ吹く風。むしろそれを味方につけてお客さんを巻き込み、更なる笑いに繋げるというフランス座の伝統は、八波たちが築き上げ、後輩たちに脈々と引き継がれていったものです。
しかし、どんなはちゃめちゃをやってもしっかりと舞台が成り立つのは、やはり根底に誰をも納得させるだけの揺るぎない実力があるからこそ。初代座長の名に相応しいカリスマ性も、流石のものでした。数多いる優れた浅草芸人の中においても、八波の存在感は群を抜いており、そんな彼がいち早くテレビ業界の注目を浴びたのは、当然の成り行きだったと言えます。昭和31年に由利徹、南利明とともに結成した『脱線トリオ』は、生まれたてのテレビ電波と時代の波に上手く乗り、瞬く間に一世を風靡しました。もっとも、生の舞台で繰り広げられていたコントをそのまま公共の電波に乗せたのではあまりに刺激が強すぎるためか、テレビでの芸は、いささかマイルドになってはいましたけれど(笑)。
脱線トリオ解散後も八波は着実に活躍の場を広げ、私たちを大いに楽しませてくれましたが、昭和39年、不慮の事故により僅か37歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。もしも早逝を免れていたら、どれほどの大物になっていたのだろうかと思うと、本当に残念でなりません。フランス座出身のスター第一号として、後輩たちへの道を拓いてくれた初代座長に、あらためて敬意を表します。