榎本健一は明治37年、東京は青山の生まれ。幼い時分に母を亡くし寂しい思いはしたものの、生来明るい性格で、大変ないたずらっ子だったそうです。子供のころから頻繁に浅草へ遊びに来ていたようですが、当時の浅草といえば、まさに日本一の歓楽街!やんちゃ坊主の目に映る輝きに満ちた世界は、さぞや胸躍るものだったのでしょう、いつしか自分もあんな華やかな舞台に立ちたいと、役者を目指すようになります。
15歳になった健一少年は、当時大流行していた浅草オペラの売れっ子俳優・柳田貞一に弟子入りし、17歳でコーラスボーイとしてデビューしました。
運命を大きく変えたのは、大正12年の関東大震災。壊滅的な被害を受けた浅草六区を離れざるを得なくなった彼は京都へ移り、この頃から喜劇役者への道を歩み始めたと言われています。…もっとも、浅草時代からその芽はあったのでしょう。震災当日、舞台衣装の猿の着ぐるみ姿のまま浅草の街を逃げ回ったなんて噂(真偽はともかく、笑)もあるくらいですから、やはり生まれながらに人を笑わせる才能を持ち合わせた男だったのかも知れませんね。
昭和4年、浅草へ舞い戻った榎本は、のちに伝説的レビュー劇団として語り草となる「カジノフォーリー」を結成。脱退後、ジャズシンガーの二村定一と起ち上げた「エピル・ブリヤント」時代に松竹から声が掛かり、浅草最大の劇場松竹座で「エノケン一座」として大成功を収めます。これを皮切りに映画界へ進出し、レコードも次々と出して…あれよあれよという間に、スター街道を駆け上がってゆきました。
ちょうど同じころ頭角を現し、インテリ層から絶大な支持を集めたモダンな持ち味の喜劇役者・古川ロッパと人気を分かち合い、軽演劇界は“エノケン・ロッパ時代”へと突入。日本中に大ブームを巻き起こしたのです。
しかし、飛ぶ鳥も落とす勢いのスーパースター・エノケンに待ったをかけたのは、忍び寄る戦争の影でした。
先月号で、第二次世界大戦下における禁演落語の話をしましたが、それと同様、映画界にもまた自粛のムードが広がり、最盛期には年4~5本ものペースで製作されていたエノケン映画も昭和16年頃を境に滞りはじめ、戦争の激化につれ彼の活躍の場は、狭められていったのです。
こればかりは時の運、どうにもならないことでした。
終戦後、復興の兆しとともに、再びエノケンは数多くの映画や舞台で活躍し、世間に笑いを振り撒きます。暗く苦しい時だからこそ、誰もが日々を生き抜く糧として、笑うことを求めていたのでしょうね。
けれども日本中を笑顔にしたスーパースターの晩年は、自身が演じてきた役柄とは裏腹に、悲劇的なものでした。
公人としては今までの功績が認められ、喜劇界の重鎮的存在となりゆく一方、私生活では愛息に先立たれたり、撮影時に負った怪我や長年の飲酒癖がたたり、果ては脱疽により右足切断を余儀なくされるなど、これでもかというほどの不幸に見舞われたのです。
それでも周囲の献身と励ましに応え、不屈の精神で義足になりながらも復帰した姿は、見事でしたね。晩年も多くのテレビドラマやCMに出演し、また、後進の育成にも力を注ぎ、最後まで役者としての誇りと情熱を見せつることで、沢山の感動を与え続けてくれました。
激動の時代を駆け抜け、栄光と挫折、光と闇のすべてを味わい尽くした稀代の喜劇役者は、昭和45年、65歳で惜しまれつつ、“アチャラカ”な人生の舞台に幕を下したのです。
今あらためて思い返してみれば、ロック座、フランス座出身の芸人たちも、どれだけエノケンの影響を受けていたことでしょう。
たとえば、東八郎の、あの激しい動きと、とぼけた味わい。彼の舞台を見ていると、時々エノケンとオーバーラップする瞬間があったものです。そしてその芸風は、自然と愛弟子の萩本欽一に受け継がれ、舞台いっぱい縦横無尽に駆け回る“欽ちゃん走り”を生み出しました。
いや、わが小屋に限らず、ジャンルも問わず、広い意味では全浅草芸人の中に、〈エノケンイズム〉は息づいているいるのだと思います。浅草伝統の芸を受け継ぎ、歴史をむさぼり、街の気配を直に感じることを通して、エノケンを全く知らない若い世代にさえも、ね。
昨日があって、今日がある。だからこそ、明日がある。
文化も全く同じこと。先人たちが積み上げてきた小さな石が、がっちり足元を固めているからこそ、さらに上へ上へと新たな石を積み上げてゆくことが出来るのです。過去の誰一人が欠けても、現在の浅草はあり得ません。だからこそ、その貴重な石垣を受け継いだ私たちが、過去に学び、敬意と責任をもって、浅草芸能史の続きを築いてゆかねばならないと思うのです。
折角やるからには、その場しのぎで終わらない「本物」の大衆芸能を、老いも若きも力を合わせ、皆で育ててゆきましょうよ。“小さな石”をコツコツと、スカイツリーよりも高く、積み上げて!
この連載をきっかけに浅草芸能史に興味を持ち、六区再生への協力者がひとりでもふたりでも増えたなら、こんなに嬉しいことはありません。
ムズカシイことはともかく(笑)、まずは浅草六区興行街へ足を運び、めいっぱい遊び、存分に笑って下さいね!
(口述筆記:高橋まい子)
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