東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館) 松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第12回>「北野武(きたのたけし) part.2」
前回は、たけしが敬愛する深見師匠との決別を覚悟で、フランス座から飛び立つ意志を固めたところまでをお話しました。しかし、その決心を師匠に打ち明けるのは、彼にとって身を切られるほどにつらい難題だったのです。
なぜって、いつしか二人には、単なる師弟関係を越えた肉親愛にも通ずる深い絆が芽生えていたのですから…。
フランス座を出ると決めて以来、たけしは息の合った後輩とコンビを組み、舞台がハネるとこっそり屋上へ上がっては、コントの自主練にのめり込むようになりました。
〈俺は、自身の培った芸と愛情の全てを注ぎ込んでくれた大切な師匠を裏切ることになる。ならばせめて、師匠に認めて貰えるくらいに芸を磨いて、堂々と世に出てゆかなければ。それが自分に出来る、唯一の恩返しなのだから…。〉
生真面目で義理堅いたけしは、そんな風に考えたのです。そして自信が付いたら、独立の意志を師匠に伝えるつもりでした。
ところがそんな折も折、相方が重病に伏してしまったのです。大切な親友でもあった彼との成功を夢見て必死に頑張っていただけに、たけしのショックは計り知れないものがあったでしょう。しかし、ここで諦めては、全てが水の泡。道半ばにして倒れた親友の想いも一緒に抱えて、何としてでも表舞台へ羽ばたいてゆかなければ…!
この頃にはたけしの能力は、もはや周囲の誰もが認めるところでしたが、その才能に早くから目を付けていた男がいました。先輩芸人の兼子二郎(後のビートきよし)です。 ロック座時代から深見の下で懸命に修業に励んできたものの、なかなか芽が出ず焦っていた彼は、たけしの天才的な面白さに可能性を感じ、二人で漫才コンビを組んで独立しようじゃないかと、ラブコールを送り続けていたのです。
長らくたけしは、兼子の誘いに首を縦に振ることはありませんでした。深見師匠が漫才を良く思っていないのは知っていたし、彼自身も漫才に興味はなく、やるからには師匠直伝のコントで勝負したいと考えていたからです。
しかし、相方を失ってしまった今の状況では、四の五の言っている場合ではありません。兼子との出逢いも、一つの縁。漫才への挑戦も、一つのチャンス。これは世に出るために踏むべきステップなのだと気持ちを切り替え、兼子の誘いを受けることに決めました。
別れは、想像以上につらいものとなりました。
兼子と漫才コンビを組み、フランス座からの独立を決めたたけしは、勇気を振り絞ってその胸の内を師匠に告げました。どんなに責められようと、怒鳴られようと、致し方ない。そんなことは、覚悟の上だ…。
ところが深見は、たけしの言葉を聞いたきり、怒鳴るどころか黙り込んでしまったのです。その目の奥には明らかに、そこはかとない悲しみの影が浮かんでいました。いっそ殴られたほうが、どれほど楽だったか。師匠の心に付けてしまった傷は、そっくりそのまま、たけし自身の心にも刻み込まれました。
深見が、どれほどたけしを可愛く思っていたか。たけしもまた、どれだけ深見に尽くしていたか。あんなにも親密な師弟を、他に知りません。それだけに、あの時の二人の心情を思うと、私は今でも切なくてたまらなくなるのです。
しかしこの痛みは、やはり必然だったと思うしかないのでしょうね。誰しも、大きな試練と引き換えに、輝かしい未来への扉の鍵を手に入れるのですから…。