「常盤座・金龍館・東京倶楽部」大正初期の浅草にシネコンの原型らしきものが?!<第35回>浅草六区芸能伝|月刊浅草ウェブ

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東洋興業会長(浅草フランス座演芸場東洋館)松倉久幸さんの浅草六区芸能伝<第35回>「常盤座・金龍館・東京クラブ(ときわざ・きんりゅうかん・とうきょうくらぶ)」

浅草六区は“大衆芸能のメッカ”と呼ばれていますが、バラエティ豊かな芸能が開花したのは、それに相応しい場があったからこそ。大正~昭和前期、六区興行街には大小さまざまな実演劇場や映画館が立ち並び、いずれも独自の強味といいますか、他にはない個性を持ち、それぞれに根強いファンを抱えておりました。
目まぐるしく変わる時代のなかで生き残らんがため、あの手この手で経営を維持してゆく各館の努力は、どこか現代に通じるものがあり、中には度肝を抜くような斬新な手法で注目を集めた小屋もありました。たとえば…今でいうシネコンの原型らしきものが、大正初期の浅草六区に既に出現していた…といえば、誰もがびっくりするのでは?
今回は、六区最古の小屋として人気を博し、度重なるピンチを乗り越え平成の世まで生き残り愛された伝説の小屋・常盤座と、共栄共存関係にあった金龍館、東京倶楽部の三館の歴史について、お話したいと思います。
アフターコロナの時代、芸能のあり方・見せ方は変化を余儀なくされることでしょう。浅草の過去が、今後のエンタメにとって何らかのヒントになれば、幸いです。

>次ページ「形あるものは、いつか消えてゆくのが宿命。けれど、人の心に刻み込まれた思い出は永遠」

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